アディ・ダスラーさんとワールドカップ
- 2018/06/28
- 20:01
正直、ロシアのワールドカップがこれほど盛り上がるとは思わなかった。
ワールド・カップをFIFAが世界に広げ、現在のような体制になる過程で
彼の功績は大きかった。
ダスラーさんはFIFAやUEFAが競技会を行う資金をスポンサーが
付く仕組みを
創った。だからワールドカップは24か国から32か国にまでになり、
日本のスポンサーも多くの資金を出した。
アディダス自体も開発途上国の子供たちに靴やシャツを提供する
ことでそのような地域からも優秀な選手が出るようになった。
1985年5月に私はベルギーのヘイゼル競技場で
英国のリバープールのフーリガンが
暴れ相手のユベントスのサポーター40人くらいが死亡した現場に
入り込んだ。勿論、仕事で行ったのだが。
競技場に入るやいなや10人くらいの死体が並べられている通路を
通らされた。これは無理だ。これに巻き込まれたら大変だと、
ダスラーさんクライアントのハリスさん、ヘンペルさんと4人で
地下鉄の駅まで歩き、反対側に行く電車にのり数駅過ぎてからタクシーを捕まえてホテルに戻った。
ダスラーさんが車の中で「暴力はいかん、これでサッカーは数年遅れる」
と言うような言葉をハリスさんに言った。
3-4年して彼の訃報を聞いたが、タクシー代は僕が立て替えたまま
だ。この避難も彼が即決したが財布の中は高額紙幣ばかりだった
からだ。
なお、予定されていたUEFAのチャンピンオンズカップは遅れて
この日に実施された。これもすごい話だったが。
一生に残る僕の⚽経験だ。
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