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記事一覧

日本軍の医療(日露戦争中)

アメリカの軍事アタッシュ(観戦武官)のレポートの中に日本軍の医療能力だけのレポートがある。[Report of Military Observers attached to The Armies in Machnria during the Russo-JapaneseWar Part VI janusary 1 1907」がそれだ。日本の軍事医療の水準が知れる。医療品の運搬、衛生、治療、実績、犠牲などがが細かく記されている。(防衛医大にこの資料はあるだろうか?)そのなかに日本軍が携帯用、野戦で使っていたレント...

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漂着したバルチック艦隊の将兵

ちゃんと学校で教えてほしいことに以下の事実がある。日本海海戦が終わり、1905年5月28日から29日にかけて、対馬や、日本海側の海岸に日本連合艦隊に撃沈された、バルチック艦隊の将兵達が漂着してきた。当時はメディアが発達したないから、過疎地の住民は、日本海海戦のこと、またどちらが勝ったかなどの情報は伝わっていなかった。「History of Russo-Japnese War]は赤表紙の1巻から5巻まである各々が焼く300ページ近い、総計1...

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黒木為禎将軍は欧米人に人気があった。

黒木為禎(ためとも)将軍は日露戦争で第一軍を指揮し、仁川に上陸、北上し、鴨緑江でまずロシア軍を最初に破り、奉天攻撃を行い、実質的に日露戦争中、朝鮮半島、満州に派遣された日本軍陸軍の4分1の兵力の責任者、軍指令であった。黒木将軍は日露戦争勃発の時、すでに60歳であった。完全に侍の時代の人だ。1945年、薩摩生まれ、もちろん薩英戦争、明治維新の経験者で、若年の頃はまさか自分がロシアとの戦いの主な戦闘の...

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要塞と日露戦争

さまざまな19世紀にはなかった新技術が試された日露戦争。その発端は1900年の義和団事変で、出兵したロシアは満州地区から撤兵せずに、清国と密約を結び、旅順港を要塞化した。[Official History of the Russo-Japanese War, 1909年英国国防省偏」4巻ものの3巻目に、旅順港の3つの近代的要塞の様子が描かれていた。203(メーター)高地に建設された、Fort Chi-Icuanは従来の砂袋や丸太のみならず、コンクリートを使用した...

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日本での報道が異様に少ない日本海海戦

昨日、5月27日にお会いした人たちに「今日は何の日ですか?」と言う質問をしてみた。年配の人も含め、ほとんどの人から「日本海海戦100周年です。」と言う答えは返ってこなかった。大体、報道が少ないのだ。すこし、戦艦「三笠」記念館でのイベントを伝えてものがあったくらいだ。ロシアでの報道のほうが多かったのではないか。ウラジオストックの海軍基地では慰霊祭が行われたそうだ。また「今の軍事力も古い装備が多く、1...

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日露戦争は世界初の近代戦

今まで述べてきたように、レントゲンなどの近代衛生医療施設など兵器以外でも、近代的な艦船、大口径砲、高性能爆薬、魚雷、機雷、機関銃、無電電信などのコミニケーション装具、さまざまな今までの戦争では使用されなかった、近代的、科学的な武器兵器が多種使用された。これから紹介していくものでは、1)観測装具と気球 砲弾の観測のために、眼鏡、気球などが使用された。2)サーチライトなどの照明器具。日露戦争は戦史上、...

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1905年5月27日午後のロシア艦の様子

japan's fight for freedom誌の幾つの画像を見ると悲惨な状況であった。バルチック艦隊司令長官ロジェストウエンスキー中将は重傷を負い、指揮がとれない状態だった。一番上の画像。司令官はこの後、横の破壊されて砲塔に避難したが意識を失った。旗艦が沈んだの別な艦に収容され、最終的にはその艦は日本に降伏し、彼は日本側に収容され手当てを受けた。しかしロシア艦隊の乗組員は戦闘を予期してきたわけであり、自らその運...

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日本海海戦、1905年5月27日午後2時

人類の歴史には幾つ大きな節目があっただろう。その10大転機を選ぶなら、「日本海海戦」は確実にそのひとつに入る。ロシアは日本海海戦に完敗したことにより、講和を余儀なくされ、国内情勢はさらに深刻化、結果、共産主義国「ソ連」が誕生し、20世紀の残りの諸問題は「ソ連」が何らの形で関与した。「ソ連」を生んだのは「日本海海戦」と言っても間違いないだろう。東シナ海を北東に向かって来た、バルチック艦隊と日本の連合...

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敵艦見ゆとの警報に接し、1905年5月27日早朝

日本の警戒線は五島列島と済州島の間に6艦を配し、そのうち4艦は縦に、バルチック艦隊が航行してくるであろう範囲を行き来するという体制をとっていた。巡洋艦「磐手」艦長、川島大佐は寝ておこうとしたが、目がさえて「明日知らぬ身も忘れて思う哉千代万世の国の御栄え」と言う歌を詠んだ。(児島 襄著「日露戦争」より)当時は自分より国、社会、そして家族の繁栄を祈るのが個人の価値感であった。バルチック艦隊は日本の水雷...

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我が家にある「日本海海戦」

今は掛けておくところもないが、我が家には2点の日露戦争の記念品がある。ひとつは額だ。たて35cm、横70cm、黒枠の金地の額で、中に印刷された「日本海海戦―五月二十七日午後二時過ぎ」とあり、日本連合艦隊、戦艦三笠を先頭にいずれも戦艦、敷島、富士、朝日、それに巡洋艦「春日」「日進」の第一艦隊が一列になり、後方に第二艦隊の姿が描かれたいるものだ。すでに三笠の周辺には数発の砲弾の水煙が上がっている。もう...

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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