工兵、日露戦争近代兵器(技術)その13
- 2005/05/31
- 20:31

欧米の日露戦争記録を読むと、観戦武官、ジャーナリストが気が付いた事実のひとつに日本軍工兵技術の効率性があげられた。仁川(現在のソウル国際空港のあるところ、後の1953年、マッカーサー元帥が朝鮮戦争中にも上陸作戦を実施した)上陸作戦の手際の良さだ。仁川は京城(現在のソウル)への海港であり、朝鮮半島ののど元とも言う要所だ。またこの地は干潮の差が大きく、時には10mくらいあると言う、その干潮の差を克服す...
戦争に勝ち負けなし。
- 2005/05/31
- 14:05

日露戦争以前の戦力は、推定、ロシアが海軍80万トン、陸上500万人。日本が海軍26万トン、陸上数十万の規模であった。戦中、陸上兵力は双方とも、満州に200万人規模を送りこんだ。明治37-8年戦史によれば、ロシアの死傷者115000人、捕虜約8000人。日本の死傷者118000人、捕虜2000人であった。従って、陸上の損害はほぼ拮抗していたが、ロシアは海で、約100隻の艦艇を失った。1905年6月の...
日露戦争の日本兵
- 2005/05/31
- 11:56

10年以上前になるが、「中国戦線の日本兵ー1930年代」と言う英文の本を書いた。日本兵の特質、兵器などを、東京日日(現毎日新聞)資料写真(勿論有料でお支払いした)から借用し、それに説明文をつけた。約80様ほどの様々の設定、偵察、行軍、兵器の整備、戦闘、休息、待機、などの様子に主に兵器、装具の運用、その背景などを、欧米の日本軍研究者、収集者用にまとめたものだ。今回、日露戦争の日本兵の写真、画像を見て...
ロシア要塞とロケット砲 日露戦争の近代兵器その12
- 2005/05/31
- 09:19

旅順の3つの強力な要塞は、砲、機関銃のほか、画像のような新兵器、ロケット砲も使用していた。一般の砲は砲台からだけでなく要塞内部から発射できるようになっており、機関銃、歩兵が死角がないよう設計された銃眼から射撃した。このロケット砲は、恐らく世界で始めて実用に用いられた兵器であると思われる。日本軍側がロケット砲を使用したという記録は見ていない。また日本軍が鹵獲した多くのマキシム機銃は、双輪架台に載せら...
観測気球、日露戦争の近代兵器その11
- 2005/05/30
- 21:05

旅順港は港口が狭く陸側は山に囲まれており、203(メーター)高地を攻略するまで日本軍はその内部をうかがい知ることは出来なかった。そのために、観測気球を上げて、気球に吊るされた籠から観測兵が望遠鏡で内部を観測し、それを電話で地上に伝えた。この観測気球には水素ガスが使われていた。水素ガスは不安定で、弾丸1発を浴びると爆発したと言う。現在の飛行船、気球は安定性の高いヘリュームガスを入れているので、爆発の...
光学兵器の活用、日露戦争の近代兵器その10
- 2005/05/30
- 20:52

19世紀の中ごろより戦闘で双眼鏡が使われるようになった。日露戦争ではドイツ製などヨーロッパ製の双眼鏡、観測鏡が使用された。国産化は日露戦争後で民間会社、日本光学(ニコン)が設立されたのは1917年だった。日露戦争で使用された陸海の光学兵器は、1)状況観測用の双眼鏡2)信号観測用の望遠鏡(かっての天体望遠鏡のような鏡を使わない筒状)3)砲隊鏡、左右の鏡で距離を測るもの。などであった。陸軍においては、...
サーチライト、日露戦争の近代兵器その9
- 2005/05/30
- 20:35

エジソンが電気、電球を実用化してまだ何年もたってなく、電気が一般的に使われていたのは、アメリカか英国の都会でしかなかった時代、1904-5年に、日露両軍はサーチライトを、陸海で効果的に使用していた。おそらく、日露戦争は軍事目的で電気、サーチライトを使用した初めての戦争であっただろう。陸では、旅順要塞のサーチライトは夜間攻撃する日本軍を悩ませた。サーチライトに照らされて、機関銃で射撃されれば攻撃側の...
自転車の活用ー日露戦争の近代兵器その8
- 2005/05/30
- 15:45

マウンテンバイクがブームだ。日本でもアメリカでも自動車に自転車を積んで、適した山を自転車で走破する。脚力はいるが、良いスポーツだ。日露戦争中、日本軍は自転車を活用していた。単に、伝令とか連絡目的だけではなくて、偵察や戦闘にも組織的に使用していた。まさに今のマウンテンバイクだった。明治時代、社会ではまだ自転車が一般的でない頃、軍用に多用されていたことは特記される。他の欧米諸国の軍隊はどうであったのか...
カーキ色の採用,日露戦争の近代技術その7
- 2005/05/29
- 20:55

20世紀初頭にはカラー写真はなかった。しかし白黒写真に着色しカラー化することはあった。多分、石版で印刷したので費用は掛かったことだろう。もしくは一枚一枚、手塗りでカラー化した。こういう資料で一般的なのは、横長のカード式、立体鏡だ。手で保持する眼鏡に横に同じ写真が2枚印刷された(左右のずれを利用して立体化する)を覗く簡単な仕組みの娯楽用品だ。19世紀末から20世紀初頭、欧米では一般的だった。そのソフ...
日本海海戦の結果は30日に発表された。
- 2005/05/29
- 20:22

27日から28日にかけての日露の日本海における開戦の結果は、29日どうも日本側が勝利したらしいと世界に伝わっていた。しかし当時の通信環境から、30日になって日本側は、日本は水雷艇3艦を失ったが、バルチック艦隊のほとんどを壊滅させたと、世界に向かって発信した。一番、よろこんでくれたのは、英国そして米国だった。他の国ぐには半信半疑であった。ロシア皇帝は「悪いニュース」を日記に書きとめた。(小島 襄著「日露戦争...