fc2ブログ

記事一覧

日本の捕虜収容所

「King Rat]はシンガポール、チャンギあった日本軍が管理する、連合国兵士の捕虜収容所をテーマにした小説だ。イスラム系マレー人が豚肉を食していたり、、日本人の名前がでたらであるなどリアリティにかけていたが収容所の劣悪な生活環境、非人道的な状況を描き、ベストセラーとなった。1942年はじめ、アジア各地で日本軍の捕虜となった連合国兵士の多くは日本本土の収容所に送られた。過酷な食料事情、労働で多くの捕虜が死...

続きを読む

竹槍で人は殺せるか?

多分、殺すことはできないだろう。(写真はbambooサイトより、竹を自転車にするくらいならかわいいが、武器にするには?)1944年2月、日本政府は「非常時宣言」を出し、この頃から「本土決戦」とか「1億玉砕」などと言うことばが使われ始めた。海軍は壊滅的になりつつあり、陸軍政府に対して毎日新聞は1944年2月23日付記事「勝利か滅亡か、戦局はここまできた」と言う記事を掲載し、その中で「竹槍は間に合わぬ飛行機...

続きを読む

日本軍がゲリラ戦が出来なかったわけ。

1942年初頭、フリッピン諸島を日本軍が占領し、アメリカ軍が撤退した後も、一部のアメリカ人は同地に残りゲリラ活動を指揮した。潜水艦から無線機関係備品、武器、兵器を補給してもらい、情報活動をアメリカ軍の再占領まで続けた。住民と共同作業であったが、住民の兵器装備は悪かった。アメリカ軍が残した殆どの兵器と装備は日本軍に鹵獲されてしまっていたからだ。(日本兵は鹵獲品のジーパンをはいていたそうだ。)逆に戦後...

続きを読む

義烈空挺隊の死生観

今の人間には「必ず自分は生きては帰れない」と言う心理は理解できないと言うか、現実のものと考えられない事実だ。例えば、旅に出るとき、これで帰れないとは考えて出る人間はいないだろう。60年間、日本は平和を享受しているが、これが永遠に続くと良い。ひとつの死生観の例を60年前にみてみたい。1945年5月24日夕方、熊本県健軍飛行場を発進した12機の陸軍九七式重爆撃機の搭乗員、操縦者150名余は疑いもなく自...

続きを読む

大西 瀧治郎軍司令部次長的死に方

軍人は自分の[死ぬときと死に方」を考えておけと教えられていた。海軍神風特攻隊の生みの親、大西 瀧治郎中将は8月16日、自刃した。つまり腹を切ったわけだ。靖国神社に彼が帯刀していた刀が展示されている。大西 瀧治郎は海兵40期、1945年8月、55歳だった。彼の生き方はとても考えさせられる。1941年初頭、第11航空艦隊参謀になり、真珠湾攻撃の策を練った人間の一人だったと言われている。日本の戦争の「は...

続きを読む

終戦3週間前の日本経済と兵器生産

日本の兵器生産を見てみると、1945年7月後半には殆ど生産停止状態であった。一部特攻兵器は何らかの形で生産されていただろう。一般経済はほぼ「脳死状態」だった。農業生産は労働人口の落ち込みから秋の収穫は見込めず、このままでは餓死者は100万人と、政府の非公式な予測は出ていた。燃料不足から流通は停止し、漁業なども極端に停滞し、食料生産は瀕死の状況であった。軍事物資はある程度備蓄され、陸軍は1年間ほどの...

続きを読む

広島・長崎への核攻撃は防げなかったか。その3

技術的、物理的にアメリカの核攻撃を防止できなかったかどうか、2回、空と海の防衛の具体的な誤りに関して述べた。今回は視点を変えて、日本がなぜあのような、世界史上前代未聞の「孤立した」状態で数年間も戦争を続けたか、またその終わり方にまったく筋書きがなかったか、の「不思議に関して」の問題提起である。1、まずは外交を松岡 洋右に任せていたこと。1933年満州国承認を巡り、日本は国際連盟を脱退するが、他の方...

続きを読む

広島・長崎への核攻撃は防げなかったか。その2

写真は伊号大型潜水艦 全てが芸術品的な兵器であった。戦後のミサイル搭載原子力潜水艦の思想だった。太平洋戦争後半の展開を見てみると、日本海軍は戦術的に二つの大きな愚作を長年行ってきたことの結論が見える。一つは言うまでもなく、「大艦巨砲主義」であった。自らが1941年末から42年初頭にかけて証明したとおり、航空機の前に艦艇は敵ではなかった。これは航空母艦でもおなじで、大戦中、日本は25艦の大型空母を含...

続きを読む

広島、長崎への核攻撃は防げなかったか。その1

1945年8月6日、広島、9日、長崎へのアメリカ空軍のB-29単機攻撃による核攻撃を防衛することは出来なかったのか。日本陸軍、海軍の航空隊は本土各地の基地から邀撃する防空戦闘機隊が大編隊で襲来するB-29に対しては着実に成果を挙げていたのになぜ、単機で侵入してきた高高度B-29攻撃を防げなかったのかはひとつの謎である。本土には電探(レーダー)が陸、海軍が地域を分担し配備され、その連絡網も整備していたはずだ。単...

続きを読む

日本の誇るべき航空機用計器類

航空機はどんなに簡単な形式でも、1、速度計、2、高度計、3、ボールバンクインジケーター、4、上昇計、5、磁石、6水平義の6つの計器は必要である。特攻機「桜花」はこの6つの計器と、ロケットの推力計のみだけしか計器盤には見えなかった。零戦などの戦闘機にはこれらに加え、発動機回転計、発動機温度計、同油圧計、油温計、電圧計、整流計、燃料圧力計、燃料計、などの計器が加わった。また、無線機関係の計器、射撃関係...

続きを読む

プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


現在の閲覧者数:
カウンター :

月別アーカイブ