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記事一覧

タミヤ模型の日本兵

タミヤの35分の1スケールの日本陸軍歩兵セットはとても良く出来ている。欧米でも良く出た。「Military Miniatures]TAMIYA,で17cmx16cmの箱に入っている。内容は、尉官級将校1名と、歩兵3名だ。この4人の顔とアクションが良い。(中西先生のイラストにはない戦闘の迫力がある)誰がこのイラストを書いたのかは、表示されてないが。精悍で知的な兵士だ。1名の歩兵は八九式重擲弾筒を保持し、50mm砲弾4発入り収...

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謎の日本戦車模型

とても感じが良く出てるし、サイズも展示には最適だ。13年ほど前、マニオンで購入した。マニオンは時々、意味不明なものが出た。果たしてこの模型も日本のその方面の人に聞いたら「たいしたものではない、中国で誰かが作らせたものだ」と言う素っ気のない答えだった。私は気に入っていたのでがっかりした。(その本人は実物をみてない。)九七式中戦車(長さ27cm、幅12cm、高さ12cm)と手前の九五式軽戦車(長さ21...

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戦前の科学模型 重巡洋艦2艦

重巡洋艦は1922年、ワシントン海軍軍縮条約の結果、日本海軍がその開発に注力したクルーザーである。1万トン以下、8インチ(20.3cm)以下の主砲を装備した、航続力がある、速力の速い、しかも戦闘力が強い戦闘艦である。画像の2艦は戦前の科学教材だ。手前の2本煙突艦は「重巡洋艦」の表示、全長55cm、幅6cm、高さ13cmの「青葉」の模型である。前甲板の砲塔が3個ある。向こう側は箱があり、その表示は「...

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日本陸携帯気象観測装具 その2

日本陸軍の気象観測用具は先回の「風向風速計」の項で説明した通り、軍隊という機能から大体が携行可能に製作されていたようだ。しかもその製作は殆どが大会社というより中小の民間会社に委託されたようで、その品質は高かった。画像の「通風温湿計」は、木箱に2段に収納されている。木箱には「通風温湿計」の表示があり、その寸法は横42cm、幅12cm、高さ12cmで提手が付いている。内部の押さえ部分にはビロードが張っ...

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天賞堂製作か「戦艦大和」?

金属模型の「戦艦大和」だ。随分、以前から家にある全金属製の非常に緻密な「戦艦大和」だ。全長48cm、最大幅7cm、高さ10cmの寸法で、合金で出来ている。甲板部分は本体に螺子止めで、上部はシルバー鍍金、下部は濃い茶色に焼付け着色されている。戦後、プラモ以前のものだろう。こんなものを作れるのは銀座の「天賞堂」しかないと思うのだが。25mm2蓮機銃座がひとつ欠けているが、多分艦橋上部にはマスト、レーダ...

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日本陸軍小型精巧緻密風向風速計

「日本陸軍」は精巧緻密さに欠けた組織と言うイメージがあった。しかし私は最近、1942年製造、携帯用陸軍気象部の検定書付きの小型風向風速計を観察した。気象観測が彼等にとって大変重要な要素であり、その器具ひとつをとっても、日本陸軍は科学的思考は高く、緻密で高い水準であったことを認識した。画像の器械がそうだ。色は他の陸軍装具とおなじグリーン・カーキ系だ。(戦場が太平洋に移動するとグリーンが濃くなった。)...

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重機関銃の弾薬紙箱

日本の地上用重機関銃の弾薬は30発づつ金属板に載せられそれが細長い紙箱に収納されていた。紙箱の外部には薄い布が張られていたが、大戦末期には単なる紙箱になった。この形式は三年式6.5mmと九二式7.7mm共通で、しかも紙箱の寸法もまったく同じで、外れる部分に貼ってある表示を良く読むか、開けてみないと中身が分からない。箱の長さは42.5cm、幅9cm、厚み(台形になっているが厚いほうで)18mmである。...

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景品になった日本海軍艦艇

以前、アメリカの友達に貰ったものだ。1930年代、食品の箱の中に入れてあったベタ付け景品だ。アメリカをはじめ各国の海軍艦艇の長さ10cmほとの合金製の日本艦艇のモデルだ。大変珍しいものだと思う。一つは空母で、船首に日の丸が付いている。「加賀、赤城」などの日本の大型空母(約4万トン)、1928年竣工のものだろう。改造前の非常に小型な艦橋の特徴が出ている。もうひとつは戦艦だ。裏に「NAGATO]と刻印してあ...

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安全だが本物っぽいおもちゃの小銃

武器兵器のおもちゃと言うと、非現実的なものか、改造を恐れるものかどちらかに分類され、なかなか飽きずに安全に遊べたものは少ない。この小銃はアメリカのおもちゃで全長75cm、こう棹を操作することができる。スプリングフィールド30.06を原型にしている。先の水冷型機関銃と同じ頃、1930年代のおもちゃだ。機関部には取り外しが出来ない、木製の実包が入っており、銃身内のスプリングでこう棹を戻しては押し、弾薬...

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高級なおもちゃ カウボーイもの

日本は「侍もの」、アメリカは「カウボーイもの」とおもちゃの舞台は決まっていた。侍ものは、端午の節句に集約され、実際に子供がちゃんばらごっこをする時のおもちゃに高級なものはあまりない。ほとんどが粗末なものだ。一方、カウボーイものには今、とても値が張る高級品があるのだ。機能は紙巻き火薬の日本のブリキのおもちゃとかわらないものだが、寸法は大きく、合金製で重い。10歳以下の子では重くて扱えないほどだ。しか...

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中西 立太氏 その2 「日本の軍装」

この本は「日本兵器火器」と同じ大日本絵画の発刊で同じ体裁である。カラーと白黒ページが交互にあり、英語キャプションも付いている。欧米の研究者へのプレゼントに最適な本だ。1930-1945年の日本の陸海軍の被服の用途別、事典のようなイラスト集だ。彼が1970年初頭「ホビージャパン」にこの連載を始めたとき、「何でいまさら日本軍、そんなダサいものを」と言う意見もあったそうだ。しかし、日本軍は確かに存在していた、我々祖...

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日本軍イラスト作家 中西 立太氏 研究その1

現在、日本軍の将兵、その兵器の扱いを描く人は、中西氏しか存在しないと言っても良い状況だ。氏はすでに数冊の本をまとめられた。画像の本は大日本絵画社から1998年に発刊された「日本の歩兵兵器」だ。25x25cmの変形サイズ、67ページ。カラー(一部白黒)日本軍将兵が小銃、拳銃から歩兵砲など、大隊、連隊単位の装備を扱っている場面を系列的に、わりに大きな画でしめしてある。英文キャプションも付いているので、...

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こんなおもちゃ日本にあったか 機関銃

戦前、軍国主義が盛んな頃、日本にも子供用兵器おもちゃ、七五参用の軍隊衣装はあったが、この画像のような、本格的兵器おもちゃは存在したのであろうか。これはブローニング(マキシム、ビッカース)水冷型の機関銃だ。1930年代後半のものと思われる。金属製の鉄帽、皮革製の弾薬盒がついて、これには皮革製のベルトと、コルト型のホルスター(拳銃はなかった)も付いていた。(別売りなのと程度が悪かったので購入しなかった...

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戦車大国 ニッポン ブリキのおもちゃ その3

現役のとき、社員に「おもちゃ屋」は「要チェック場所のひとつ」時々のぞいてみること、を奨励していた。仕事のヒントの宝庫だ、と私は強く感じていたからだ。現在のおもちゃの主流は、ゲームも含め電子的なものか、キャラクターものだ。すでにアメリカでも実物に見間違えられる武器のおもちゃは大型チェーン店などの自主規制で殆ど見ることはない。半世紀前の子供と今の子供では遊んでいるモノも遊び方もまったく異なるものになっ...

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日本の重機関銃托架の結合法

日本の重機関銃の三脚架は、殆ど大きな変化がなく、約40年間使用された。多分、世界で一番高価で機能が優れている三脚架だった。画像は三脚架の後ろに托架を差し込むところだ。(托架は反対側を向いているが、本来U字型で、その中心が三脚架最後尾に差し込まれる)この他前部2本の脚に各々、管状の托架が差し込まれる。従って托架は3つの部分で構成されていた。托架の先端には皮革が巻きつけられていて、そこが兵の肩に乗った...

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戦車大国日本その2 ブリキ玩具

1950年代、日本は「戦車大国」だった。当時にしてはなかなか先進的な発想もあったし、画像の2点は私のお気に入りだ。いずれも[maid in japan]と裏に小さく印刷されている。アメリカのフリーマーケットで見つけたものだが、同じものは当時日本の玩具や(駄菓子やにはなかった)やデパートでも販売されていた。手前の「M-15]はなかなかリアルである。色がブルーと玩具っぽいが、全長15cm、幅8cm、分銅式で床に擦り付けて...

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機関銃の三脚架

重機関銃の射撃にはそれを載せる架台、普通は三脚架が必だ。一番大きな理由は、反動を受けて回転を継続させるためだ。また命中率を高めるためにも必要だ。従って三脚架なしでは重機関銃の射撃は不可能と言って良い。日本の三八式、三年式、九二式などの重機関銃に使用された三脚架は同じものだ。制式名はないが、私は南部開発で、「三八式」として準制定されていたと推定している。複雑な機構で、非常に精巧に出来ている。これが2...

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大変珍しい十一年式軽機関銃専用紙弾薬箱

十一年式軽機関銃は1922年に制定された日本最初の軽機関銃だ。南部開発で、大変独特な給弾方式だ。銃機関部の左横に箱を装着し、その箱に小銃用の6.5mm弾を装弾子ごと載せ、強いバネの蓋で押さえる。装弾子は6個入る。従って小銃に使う装弾子を使い30発の弾薬がその箱に装填される。箱の下部に複雑な送り機構があり、弾薬は5発単位で上から下へ、そして左から右へ、次々と銃に給弾される仕組みだ。この利点は歩兵の保...

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イラク派遣隊の帰還

日本としては戦後始めての大掛かりな海外派兵だった。サマウワの陸上自衛隊が帰還するが、もう歴史は戻らない。長い期間、共産国に操られた日本の左翼は自衛隊を悪者、のけ者にしてきた。しかし、北の核やミサイルを出すまでもなく、今では日本の軍事力を否定する日本人はごく少数の非現実的な、雨でも晴れと言うような人間だ。画像のリボンは、国会議員に付けて貰いたく私が自費で製作した。横5cm(日の丸は2cm)で、上着の...

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八九式旋回機銃弾の謎

八九式航空機旋回機銃は先にも書いたが南部開発の複雑な給弾機構を持つ2連と、これも装弾の難しい、単銃身の2種があった。いずれも縁が半分出ている薬夾を使用するので、この弾薬は九二式重機に互換性があるが、小銃、軽機関銃には使えない。この5発入り装弾子3個が入った紙弾薬箱は意外に多く存在した。画像の一つの箱は、東京工廠印板(橋)昭和13年5月製造、「八九式旋回機関銃弾薬焼夷実包一五発」○管(検印)とある。も...

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謎の紙弾薬箱

画像のこの粗末な紙弾薬箱には、日本の九九式小銃用7・7mm弾薬が30発収納されていた。19cmx8cm、厚さ2.4cm。内部は縦に一枚の仕切りがあり、交互に7.7mm弾を入れてあった。この箱は日本にはないものだ。外部に表示は一切ない。しかし何となく、ボール紙の止め方が日本の紙弾薬箱に似た感じだった。アメリカのガンショーで1970年代、日本の7.7mm弾オリジナルとして時々見られた。しかしアメリカの...

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硫黄島攻略 その4 ドラマがあった戦闘

硫黄島攻防にはドラマがあった。今月の月刊「文芸春秋」にも美智子妃硫黄島慰霊の旅に関しての記事が掲載されていた。硫黄島慰霊が彼女にもたらした奇跡のことらしい。平成天皇、首相、そして多くの日米の指導者は、硫黄島で戦った2万1000人の日本軍将兵とまたアメリカ軍将兵の犠牲のもとに今日の東アジアの安定はある、と言う認識は深い。硫黄島指令官であった栗林 忠道中将は1891年生まれ、1944年、53歳であった...

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硫黄島の攻略とB29の損害 その3

小月基地の樫出 勇中尉はB29の撃墜王として有名であった。しかし私は彼が撃墜したのは7-8機と記憶していたが、50年後、彼80歳の手記、「B29撃墜記 私は26機撃した」を読んだ。(光人社文庫刊)中国奥地から北九州に来襲した連合軍爆撃機は1944年6月16日が最初であった。邀撃した陸軍航空隊小月基地の双発複座戦闘機「屠竜」は12機であった。来襲した(B24を含む)17機のうち6機を撃墜、7機に損害を与え、...

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硫黄島の戦闘 その2

アメリカ軍に病院船、当時の最新医療設備がなかったら、恐らく負傷者の多くは日本軍のように死亡しただろう。硫黄島で手足を失った兵、失明したひと(数百人と言われている)など、メモリアルディーパレードでは長い間、英雄であった。(私はそのうちの何人かに実際会ったこともある。)アメリカ公文書館資料写真を見ていると、幾つかの点に気が付いた。日本の機関銃座、九九式軽機関銃と戦死された2名の陸軍兵士だ。軽機関銃には...

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今なぜ「硫黄島」か、とB29を26機撃墜した男 その1

最近、書店で軍事モノのコーナーを覗いていて、はっと気が付いた。光人社文庫の2冊の本からだ。コーナーには「H28」氏ツムラ氏などのデタレメ本はなくまじめな本ばかりだったのでほっとしていたところだった。1944年の日本の連合国に対しての国土防衛に関してだ。私は世界中いろんなところに行った。しかし今、どこに行きたいかと言えば「硫黄島」に行ってみたい。おりしもアメリカではクリント・イーストウッドが2本の硫...

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戦車大国だった日本 ブリキのおもちゃ

日本は海軍国だったから、戦車開発や装備は列国に比べると小規模であった。その原因の第一は多くの戦場が戦車を必要としなかったからだ。しかし意外なところで日本は「戦車大国」だった。それは1950年代のことだ。私も子供の頃、10種くらいのブリキの戦車を持っていた。(母親が勉強しないと捨ててしまったが。)大体が床で車輪を擦り走らせる、分銅式だった。ライターの石が付いていて砲から火が出るもの、紙巻火薬でバンバン...

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7.7mm弾の粗末な箱

第二次大戦中、日本軍は6.5mm弾と平行して7.7mm弾も使用した。人間の殺傷には6.5mm口径で十分だが(現在のNATO弾は5.5mmに近い)、炸裂弾、焼夷弾、曳光弾などの加工した弾薬を作るためと、車両や航空機に対抗するために大きな口径の弾薬にした。この7.7mm弾は、九九式小銃(1939年)、九九式軽機関銃、そして九二式重機関銃に使用された。画像の「九九銃実包15発」の弾薬箱は、三八式より一回り大きいが...

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日本の銃弾とその粗末な箱

第二次大戦までの日本軍の銃弾は画像のような紙箱入りだった。台形型で、5発づつ装弾子(薬夾の縁が止まる板)、3個、計15発が収めれれていた。弾薬が弾丸の先へ、細っているので、装弾子も重ねると、台形になる。日本軍の弾薬の単位は15発で、村田銃の時からそうであった。日本の歩兵は、革帯に3つの弾薬盒を装着していた。前にこの箱が各2個入る前盒2個、背中に当たる部分に後盒、この長方形の箱には紙箱を上下に2個合...

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「日本帝国海軍特別陸戦隊」の本到着す。

先回、ゲーリー・ニラ氏から完成の連絡あった本が届いた。Osprey Publishingの「Men at Arms]と言うシリーズもので、その431とあった。サイズは縦23cm、横16cmのカタログ本で、50ページ、うち8ページがカラーだ。アメリカ国内価格16ドルだ。1932年、帝国特別陸戦隊が結成されてから45年までの被服、装具、兵器などと実際の報道写真と現在のモデルを使っての撮影を編集してある。写真やイラストが多くて、と...

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日本の拳銃弾薬の箱

日本の軍用拳銃は二十六年式輪胴拳銃9mmを除いて、南部式、十四年式、九四式8mmは同じ弾薬を使用した。弾薬は工廠で生産され、15発づつ横長の紙箱に入って供給された。 画像の手前は「十四年式弾薬」、後ろは「九四式弾薬」と記載されているが、内容物は同じものであろう。箱を開けてしまうと価値がなくなるので、開けて、内容物を比較したことはない。但し、十四年式拳銃と九四式拳銃の基本的な差は、弾倉から薬室へ弾薬...

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プロフィール

japaneseweapons

Author:japaneseweapons
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



刀,弓,槍,薙刀,甲冑,鎧,火縄銃,軍用銃,機関銃など日本の武器や兵器に関する須川薫雄の研究を紹介はここ:
日本の武器兵器.JP


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