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記事一覧

教練銃剣 目くじら立てるな。

戦前戦中、中学以上の学校、青年学校(一部小学校でも)で行われていた軍事教練。週に2時間と、半期に一回野外演習が組まれていたそうだ。戦争が激しくなると女子にも行われた。この軍事教練用の機材は、教練銃、銃剣、弾薬盒などで、制服の上にプッター(ゲートル)を巻いて、学帽で行った。中学以上の教練機材は実物兵器とほぼ同じ寸法で、中にはとても良くできているものや、実物の払い下げ兵器があった。多くの銃は空砲や狭窄...

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戦争関連映画100選 「われ等最良の年」

1946年、ウイリアム・ワイラー監督の僕の好きな名画だ。昨夜、また衛星放送で観た。大戦が終わり、3人の将兵が同じ町にB-17に同乗し復員する。(ワイラーはドキメンタリー「メンフィスベル」を撮ったので、B-17の飛行シーンが良い。)1人目は欧州戦線ドイツ爆撃で輝かしい戦功をたてた若き空軍大尉。2人目は沖縄戦闘を戦った銀行員だった中年の軍曹。3人目は高校時代フットボールプレーヤーだった水兵。フィリピン...

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和製菅打ち銃 その2

火縄銃を改造したものでなく、もとからの「火縄銃型菅打ち銃」も見られる。これが始めから菅打ち式として製造されたと判定する理由、それは「台」だ。銃床に火縄式から菅打ち式に改造した際に見られる埋木がなく、台も元から菅打ち式用に製造してある。銃身、銃床、カラクリを入れる掘り込み、銃身と銃床の止め方など概ね、火縄銃と同じ様式だ。この銃は全長は135cm、銃身長105cmと長い、口径は12mmで一般的な火縄銃...

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村田銃十三年、十八年式の弾薬盒 整備用品その5

村田銃は日本が最初に統一した火器として開発、生産した意義深い銃だ。幕末、日本は幕府、各藩が数十種(殆ど世界にあった使える種類の火器)、70万挺を輸入し、日本はまったく兵器の統一は取れてなかった。明治政府は東京工廠を発足させ、フランス軍事顧問団の意見で、スナイドル、アルビーニ式銃、いずれも後装で同じ弾薬を使用する、に統一する作業を始めたが、平行して村田小佐に国産銃の開発を行わせていた。村田氏は欧米を...

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日本軍野戦用スパナセット 整備用品 その4

先にも述べたが日本軍は個人が携帯できる様々な工具を用意していた。このスパナセットもそうだ。「組両口スパナ挟布」と表示されている。日本軍独特の(大工さんの工具、鑿などが昔このような収納法だった。)巻き帆布に入れられている。スパナは両口で8本ある。5mmから17mmまで0.5mm間隔で完全なものだ。各スパナにはサイズが刻印されている。スパナ自体は小型であるので、厚いものではない。2mmくらいの厚さだ。...

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幕末の日本式菅打ち銃

日本に火打ち式銃(フリントロック)はかなり早くから入っていたが、火打ち式銃は実用化されなかった。パーカッション(菅の中に雷蒋が入っている)発火方式は19世紀初頭、ナポレオン戦争の頃、開発された。間もなく日本にその情報は入ってきたようだ。しかし菅打ち銃(パーカッション式)は恐らく長崎の商人高島 秋帆が最初に日本に紹介した人だろう。(これは洋式の肩当銃床方式だった。)各地で火縄銃を菅打ちに改造される作...

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無線機用工具 整備用品のその3

日中戦争中、対戦中に使用された地上用日本軍無線機は九四式(1934年)制定各種が良く観られるが、その他、航空機用、船舶用、車両用各種があった。(映画イーストウッドの「硫黄島」には実物の三号無線機が出てきた。)画像の「要具入」は厚い帆布の巻き型、携帯用工具入れだ。アメリカで無線、電話関係の収集家から手に入れたと記憶しているが、幅20cmx21cm(折込部幅片側7cm、)、道具を収納して巻くと直径8c...

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火縄銃の射程距離

「火縄銃の玉ってどのくらい飛ぶのですか?」と言うのが火縄銃の話をしていると、とりあえず出るとても一般的な質問だ。銃砲の射程には「最大到達距離」と「有効射程距離」の2種がある。最大到達距離は銃口を上に向け40度くらいの角度で発射した場合の弾丸の飛ぶ距離だ。日本の火縄銃のは測ったことはないが、初速から推定するに1500-2000mくらいだろう。猟銃の経験だと風の影響は大きい。そう答えると「随分遠くまで...

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軽機関銃清掃具 兵器整備用品その2

日本軍が中国線戦線で鹵獲し自軍兵器として使用していたいわゆるチェコ機銃ZB26は、日本の機関銃の基本方式と同じホチキス方式だった。日本軍は相当数(僕の推定では1万挺くらい)が、日本が管理した工廠で弾薬を製造し、使用されていたと推定する。先日、硫黄島から持って来たと言う日本軍のZB26の刻印を見てくれとアメリカの友人から画像が届いたくらいだ。「ZB26は故障が少ない、優れていた。」と言う人は多いが必...

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固いものに当たった弾丸は?

昔の銃の弾丸は丸玉も椎の実型弾も被甲(フルメタルジャケット)はしてなくて、鉛のままだった。鉛が銃弾に一番良い金属なのは、製造し易い(溶解温度が低く弾型、モールドに入りやすい)、柔らかく銃腔内を痛めない、比重が重くエネルギーが減衰しない、などの理由からだ。しかし、物体に当たると形が容易に崩れ、特に人体には残酷であった。そのため、軍用弾には被甲がされるようになり、その被甲の先端部分を削るのは「ダムダム...

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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