大野 公市君の勝利と明野飛行学校 / Koich Ouno won his debut.
- 2007/01/31
- 21:08

今日は陸上自衛隊明野駐屯地の秋田三佐に無理を言って、僕の講演を午前にしてもらい、三重県明野から後楽園ホールに直行した。第69回日本ボクシングコミッションの新人戦のためだ。渡久地ジムからは、愛媛県で漁師をやっていたがどうしてもボクシングの夢を捨てられず、東京に出てきて、昨年プロテストに合格した大野 公市君がフェザー級で第1試合に出場した。(13試合あったので後の方なら問題なかったのだが、6時開始だか...
最近見なくなった帆布製弾薬盒60発入り / The canvas pouch is getting rare.
- 2007/01/30
- 08:03

日本軍軍用装具は年々市場に顔を見せなくなった。この現象は日本もアメリカも同じだ。それに加え欧州の収集家が増えた。特にドイツ人だ。彼らは特別な許可証で実物兵器も収集できる。人気があるのは九四式拳銃だ。アメリカから日本軍の拳銃はどんどん大西洋を渡っているようだ。画像の帆布製弾薬盒は十一年式軽機関銃、射手と助手が各々2個づつ革帯の前に装着した。幅16、奥行き8、高さ10cmの大きさで6.5mm弾薬が15...
日本古銃の特徴 象嵌(ぞうがん)装飾/ Crests inlays are charactaristic of Japanese Matchlock guns.
- 2007/01/29
- 07:42

欧州の高級な銃には全体に細かい彫がほどこされ金銀の縁取りの装飾が見られる。日本の古い銃、火縄銃、一部改造菅打ち銃には、金、銀、銅、真鍮などの金属を大胆に象嵌した装飾が数挺にひとつくらいの割りで見られるから、これは「日本の古銃の特徴」であると言って良いだろう。このような象嵌には高度なデザイン能力と金工技術が必要だ。鉄の部分を浅く掘りそこに他の金属を埋め込み、叩き、磨き上げ、同じ表面とするのだ。銃身の...
軽機関銃弾倉弾薬装填器 九九式軽機用7.7mm/ The ammo loarder for M-99 light machinegun
- 2007/01/28
- 10:04

九九式軽機のことをある人の手記を読んでいたら、「満州で応召され、機関銃手にされたが、九九式軽機はまったくの「キカン銃」で、訓練では1発も的に命中せず、ソ連軍の侵攻に1発も撃つことなく降伏した。」と書いてあった。こんな日本兵ばかりだったらソ連軍も楽だっただろう。関東軍はあまりにも多くの中堅兵を南方に取られたので、訓練が出来なかったのではないか。九九式軽機は扱い易い、安定した、命中率の高い、威力のある...
国立歴史民俗博物館 宇田川 武久展示代表者よりのお返事/ Dr. Utagawa's reply to me
- 2007/01/27
- 13:38

私が指摘した、鉄砲展図録の「カラクリ」説明のページの間違いに関して、同氏から以下のようなお回答をいただいた。(売店に図録をリコールしろと書いたのだ。)「瀬川 様(名前からして間違っている。)貴重なご意見ありがとうございました。ご指摘のありました「カラクリ」につい回答します。ここのコーナーでは火縄銃の構造を理解するために、機関部のいくつかを展示いたしました。すべての機関部を展示しているわけではありま...
軽機関銃弾倉弾薬装填器 九六式軽機用 6・5mm/ An ammo loarder for M-96 light machinguns
- 2007/01/27
- 02:39

画像は軽機関銃手が絶えず持っていなければならないもう一つの装具だ。軽機1挺には大体8個の弾倉が用意されていたと言うが、これとて続けて撃てば30秒余で撃ちつくしてしまう。弾倉は厚い鉄板で出来ており、使い捨てではない。戦闘の合間、もしくは第2の助手がいて、空になった弾倉に次々と5発装弾子から弾薬を詰めた。そのための道具がこの装具だ。空の弾倉の口に装着し、5発づつの弾薬(小銃と共用のもの)を箱の中に3個...
多様性が日本の火縄銃の特徴、だから何をもって「イフウ」とするのか?/Are they odd?
- 2007/01/26
- 04:00

国立歴史民俗博物館の鉄砲展図録、大テーマのひとつに「日本への鉄砲伝来は中国人が中心の倭寇が種子島だけでなく、日本各地に鉄砲をもたらした。その証拠のひとつに(イフウ)という種類の鉄砲の現物、古文書が存在する。」と言う内容の記述があった。この説は,日本の火縄銃の実態を知らず、何の根拠もない。そもそも、日本の火縄銃は①伝来から文禄慶長の役、関が原、大阪の陣が終了するまでの銃。②江戸期幕末までの銃。このふた...
軍靴と皮脚絆/ Foot gears for Japanese Army
- 2007/01/25
- 01:06

日本での皮革で出来た靴の一般化には日露戦争はかかせないとよく言われる。それまでの日本人は殆ど靴を履いてかなかった。当然洋式にした近代的軍隊には皮革製の軍靴がひつであり、兵にこれを支給した。一方、日本軍の膝から下を被う方式はは3通りのものがある。1)一番一般的なのは布製の巻き脚絆(英語ではプッター、日本語ではゲートルと言う。)2)長靴もしくは半長靴。3)皮革製の巻き脚絆。僕の伯父が膝から下を絞った袴...
有効射程(距離)150mはべらぼうだ。伝来直後の鉄砲/ It could not hit the target at 140 yards.
- 2007/01/24
- 08:31

また歴博図録の話だ。58ページの「鉄砲の基礎知識」と言う欄に書かれてることには間違いが多い。伝来当初の鉄砲は何挺かあり、またこれを複製したものも存在する。銃身だけのものもある。この図録が言うように全長は100cmくらいのものが殆どだ。(洞先生の研究では銃身長が6-70cmとしていることも符号している。)しかし、僕が見たかぎり口径が図録のように(1cm前後)ではなかった。15mmはあったのではないか...
小銃機関部を守る「遊底被」/ A dust cover on Japanese rifles
- 2007/01/23
- 09:44

日本軍の主力小銃、三八式6.5mm、九九式7・7mmの機関部横には切り込んだ筋が入っており、そこにU字型の鉄板製被(ダストカバー)を装着した。日露戦争で使用された、三十年式小銃6.5mmにはこれがなく、満州の原野での、砂、泥、埃、雪、水などの異物が機関部に入り、稼動不良に悩まされたと言う。当時の写真を見ると、小銃の機関部に手ぬぐいのような布を巻いているのが見られる。これは威厳がない。三十五年式小銃...