fc2ブログ

記事一覧

アジアでクラシック音楽をの偽善

20年ほど前、T自動車に出した企画、アジア各国にクラシック音楽を提供するというイベント案は受けた。クライアントが本社も現地ものったのだ。他社との差別化が出来る、社会貢献的だと。何よりも現地の要人のご出席の機会が作れるイベントだと。ニューヨークの高原さんのアンサンブルを頼んだが、1992年、札幌交響楽団に依頼した。堤 俊作氏の指揮だった。札幌交響楽団との交渉はうまく行ったが、T自動車さんが急に偉い人...

続きを読む

刀に銘を切る。

大刀剣市でのデモだ。珍しいものだった。鉄(柔らかい質のものだろうが)に文字を彫って行くものだ。小さいものはキーホルダーに付けたりするのか。鑿と小型の槌を使い、トントントンと作業していた。綱取ジョウちゃんも「のらりくらり」とわりと大きな鉄板に彫って貰っていた。3日間、別な職人が2人づつ担当したそうだ。文字はけして美しいものではないが、鉄にこれほど簡単に刻めるとは思わなかった。と言うことは偽名と言うの...

続きを読む

拾い屋と神田の古書市

秋の読書週間で神田神保町界隈では古書市が開かれている。大学時代の友人が古書店をやっている。彼に時々、頼まれて自分の本を出す。行き先は分かっている。彼の近所のB堂という軍事ものの専門店だ。昨日、朝、頼まれたものを届けた。日中は予定が詰まっており、早い時間で友人の店はまだシャッターがおりていたが、勝手口、彼の家の敷地内に紙袋にメモを付けて置いた。昼に彼から電話があり、「拾われてしまったよ。」と言う話。...

続きを読む

メキシコシティの悪夢

1986年、ワールドカップの仕事をした。準備に2回、大会中の立会いと3回行った。ファイナルに行き、マラドーナの6人抜きを見た。メキシコシティは高地にある。確か2400mくらいだ。直ぐに頭が痛くなるだけでなく、人心も悪い。空気は悪い、水は汚い。仕事中に拳銃を持っていたのはこのときが最初で最後だ。現地の鈴木さんのS&Wで、カミノリアルで要人警護をしていた警察責任者が携帯許可の書類を呉れた。警察責任者は...

続きを読む

猫の始末

リフォーム後、1階に書斎を移し、濡れ縁に面した、雪見障子を開けて仕事をしている。この濡れ縁は野良猫のひなたぼっこの場所だったが。それが邪魔されるのを嫌っている。昨日の朝、寝室のテラスに面したところを空けて空気を入れ替えていたら、何時の間にやら、この通りだ。とても臭い。猫の「あたん」は、怖いものがある。ベルさんたちのボランティア活動で野良猫はもう増えないとのことだが、白黒斑の昔からこの辺りを縄張りに...

続きを読む

伯父が戦争に持って行った刀

九七式重爆撃機の操縦士だった伯父は1944年11月に漢口に向かう途中、撃墜され戦死した。奇跡的にも彼の遺品は遺骨と共に、和歌山の実家に届けられた。その行李の中に、この刀は入っていた。軍刀拵えだ。戦争末期、良く漢口から和歌山まで届いたものだ。彼の弟、叔父、昨日がんセンターで手術を受けた、が保存していたが、20年ほど前から私のところに他の箱入りの写真、手紙などの記録と共に来ていた。銘は「濃州関住兼定作...

続きを読む

上海の看板

1980年代後半、上海はまだ映画「太陽の帝国」そのままだった。数年前行って、その変化に驚いたが。'80年代後半、T自動車の担当部長になり、最初の仕事は、同地に社名を載せた大型看板設置だった。幸い、上海には同期のN君と言う中国語堪能な男がいて、何かと尽力してくれた。自分では見に行かなかったが良い場所で、良く出来たと言う報告だった。しばらくしてT自動車から「照明が消えている」とのクレームがあった。...

続きを読む

青木 功 の「オレ まだ若いね」

昨日の日本シニアオープンは面白かった。青木 功は1990年代の半ば頃、アメリカで何年か、シニアの試合では上位に顔を出し、偉いなと思った。この日本シニアオープンには必ず帰って来て、その頃4年連続、優勝したそうだ。青木を言えばパット。昔はアクシュネットというヘッドの小さいパターを使っていた。今回はパターを変えたというが打ちかたは同じ。18番の長いパットは充分に時間を掛けて、行ったり来たりして見ながら、...

続きを読む

「大刀剣市」07

昨日の午後、芝の東京美術倶楽部で金曜から開催されていた2007年「大刀剣市」に行って来た。入場料は2000円。最終日で、そんなに人は来てないだろうと予想していてが大間違い。一杯だった。全国から約70の刀剣商がブースを出し、展示されていた刀剣だけでも数千という数だ。そのほかに鎧、小道具、火縄銃などもあった。お客も全国から来ていたようだ。業者さんが多かったのではないか。それに目についたのは、外人だ。外...

続きを読む

木鞘の軍刀

日本将校の軍刀は、旧軍刀(明治時代)から鉄鞘であった。旧軍刀は西欧的であるが、日本のものは柄が長く、両手で握れるようになったいたのが特徴だ。鞘はニッケル鍍金されていた。新軍刀は日本刀の形に近くなったが、鞘は内部は木製、外部はやはり鉄で、カーキ色を焼付け塗装し、それに皮革を巻いていた。皮革を巻いてないものも多い。内部の木は刃を守るためであり、鉄鞘は野戦で木鞘だけでは弱いので補強するためで、皮革は見た...

続きを読む

プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


現在の閲覧者数:
カウンター :

月別アーカイブ