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記事一覧

今年も有り難うございました。

毎日、書いていたつもりだですが、福島の山に行ったり、ポルトガルで抜けた日があり、申し訳ない。まあ今年の日本ほど混乱の年はなかったのではないでしょうか。めちゃめちゃでした。増税とか、抑圧とか、これからあるでしょう。収入もあり、教育もあり、自覚のある層には辛い期間が続きます。頑張りましょう。一時期です。また良い時代が来ることを望み、その実現に努力しましょう。憲法改正が第一歩です。国家安全保障が第二歩で...

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ゴミを出さないとカラスが困る

年末、年始のゴミ収集の休止期間になり、4日間くらいか。カラスの食べ物が無くて、飛びまわっている。うるさく鳴いている。最後の皮だけ残った柿をメジロが食べている様子。ヒヨ、雀なども来ていた。都会の鳥もいよいよ餌がなくなった。これで雪が1cmでも積もると大変だ。地面、ほとんどそんなものは都会にはないが、に落ちている食べ物が見えなくて、2日間はもたない。飛ぶ鳥は、食べて、溜めておくことが出来ない。それで、温...

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戦後初期の国産兵器

「忍者のような無反動砲」と言う説明があった。60式自走106mm対戦車砲だ。2連砲だ。低姿勢になる。これが一番低い状態だそうだ。3-4年前にこの土嚢を積んでいるところを見た。昔の展示兵器だが、どういう使われ方をしたか説明するためだ。戦車を攻撃するに、戦車に近い、速度で走り、低い姿勢で攻撃する、これがこの兵器のコンセプト。乗員3名、重量8トン、12.7mmのスポットライフルが付いており、それで照準し...

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刀剣の手入れ

年に2-3回、手入れする。ここのところしばらく怠っていた。刀は立てておけば、直ぐにとりだせるが、江戸期、こういう刀箪笥に収納した。横に長いので、引き出しをそろりと開けないと引っかかる。一説には、気持ちが落ち着いた時しか、滑らかに開かないと。乾いた日の午前中に手入れをすると言う。昨日の午前、ひと振りひと振り、時間を掛けて、手入れした。古い、拵えは趣があり、それだけにみほれてしまう。...

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「年越し派遣村」は偽善だった

路上生活をする人、失業して行くところのなくなった人たち、昨年、「年越し派遣村」が日比谷公園などで行われ、大勢が集まった。しかし今年は派遣村はない、そうだ。昨年、騒いだ人々は、オーガナイザー(労働組合など)、行政、ボランティア、彼らはどうしたことか。自分たちの理念を貫くなら、状況が改善されない限り続けるべきだ。そう、その理念は少し邪悪なものを含んでいたし、根本的な解決には遠いものだったからだ。相互扶...

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武器学校新校長室

戦前の海軍の建物、大理石をつかい豪華であったが、耐震性がなかったので、昨年から新校舎の建築が進行していた。年末にまだ什器が入ってなかったが、内部を見せていただいた。これは校長室だ。できるだけ歴史的遺産であった前の建物を活かしたそうだ。正面の鏡の部分には戦前は天皇・皇后両陛下が。両端には、油絵の鹿島神宮ともうひとつ武運の神社の絵画。この前が校長のデスクであり、訪問者は珍しいのでここで記念撮影を行う。...

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十一年式75mm野戦高射砲、昭和初頭の演習

良い写真だ。先日、手に入れて絵葉書の中から砲兵のもので、どこか広い演習場に、360度回転するコンクリートの台座を作り、そこに十一年式(1923年制定)の最大仰角85度、最大射程10000mの新型、野戦高射砲を設置した。一門の砲には10名の兵士が掛かり、将校が観測している。左手の複葉の航空機は敵爆撃機か戦闘機との設定だろう。第一次大戦の結果、航空機は劇的に発達した。それに対抗する高射機関銃、高射砲が...

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絹より木綿が高い

女性が趣味に古い布を買いに来るので、その種の店がおお流行りだ。これは先日の平和島骨董市。10店に1-2箇所では古着、最近はそれをすでにばらしたものを細かくわけて販売している。昔は布類は安いものだったが、今、価格が上昇した数少ない、アイテムになっている。しかも絹、日本の着物の質は中途半端でない。世界最良のものだろうが、これはとても安い。私が演武で来た、着物、袴、はおり、の3点セット、まだ仕付け糸もつ...

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九〇式艦上戦闘機

1930年、80年前の艦上戦闘機だ。国産で空母もよくここまで開発したものだと思う。後継機が、九六式艦上戦闘機、単葉、金属製、800馬力、7.7mm機銃2挺の武装、そして零戦がでた。零戦の祖父だろう。中国は空母を建造しているが、どういう艦載機を使うのであろう。その話は聞いたことがない。しゃべる人が空母と艦載機はセットであり、通常では陸上機はそのまま艦載機には使えない。また艦載機の特に着艦はとても機体...

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供与兵器の榴弾砲

朝鮮戦争後、冷戦が始まると日本の国防は米国からの供与品兵器で始まり、自衛隊OBがこういう兵器をみて懐かしがることがある。米国にはパットン将軍のように、第二次大戦終了以前から、ドイツ軍、日本軍はそのまま残して、ソ連軍に対抗させるべきであるという意見を述べていた軍人も多かったと言う。現場では米国とソ連は相いれないものがある、と言う現実感があったのだろう。その後の冷戦、核競争、ベトナム戦争などを考えると、...

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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