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大政奉還は鳥羽伏見戦闘の2カ月半まえ

日本は立憲君主の国であるが、武家の時代は幕府、征夷代将軍が政治を行っていた。
慶應三年(1887)は時代の大きな変わり目だった。

昨日のBS日テレさんとの話で私は鳥羽伏見の戦闘で、大政奉還がなされたとしたが
私の間違いだった。
大政奉還はその2カ月半前に行われていたが、徳川 慶喜は征夷代将軍職にあった。
それを辞任したのは鳥羽伏見の戦闘の前だ。

だから薩摩の陰謀、クーデターがなければその後の戦闘は無くても良かった。
内乱が一番危ない。
幸い、欧州はクリミア戦争が終わり、普仏戦闘が、米国は南北戦争で疲弊していた。

この際の悪ものは薩摩だが、薩摩は10年後、西郷ドンとたてた西南戦争で、会津出身の
巡査隊に切られてしまう。

日本史は核2発の攻撃を除けば誠に幸運な歴史であろう。
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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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