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ロシアの太平洋への道

ロシアが1741年、アラスカを発見、1799年来アラスカを領土としていたが、クリミア戦争1867年戦費のため米国に売却した
ことは良く知られているが、18世紀半ば、19世紀前半にわたりカムチャッカを基地に北部太平洋、そして
日本列島にまで到達していた話は細かくみるととても興味深い。
ハワイにも砦を築いたそうだ。

ベーリングがロシア政府から派遣されてシベリア、オホーツクからカムチャッカ半島に、半島を横断して
太平洋側に基地を作ったのは1920年代だ。日本は太平の世。
ロシアは西欧の大航海時代に乗り遅れ、北から太平洋に出る方策をとった
だが、モスクワからオホーツクまでは気が遠くなるほどの道もない行程。
カムチャッカの太平洋側で船を建造した。この話がまたすごい。
日本探検に向かう1隻と米大陸を目指す2隻。米国に向かった2隻は同じつくりで、
ピェール号とパーンウエル号は各々77人の乗員106トン、全長27m、幅7m、2本マストだったそうで、
船大工、鍛冶、帆や装具製作者、金具、小型砲計30門、錨、金具や道具、食料はロシア中央部からカムチャッカ太平洋側に運ばれた。それだけで数年を要していた。
thumbnail (32)2隻の船は米国大陸を目指した。
それくらい大変な計画だったし、エカテリナ時代、国家予算の一割の資金を要した。
今のロシアはソ連の規模よりはるかに小さい。しかし彼らが宇宙開発や軍事、領土維持にとほうもない努力をしている
のは地球の資源を糧とする、昔ながらの彼らの生きる術があるからではないか・・
だから日本の北方領土占拠は彼らにとり正しい施策であり、返還することなどまるで頭にない。これを日本人は
肝に銘ずべきだ。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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