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ロシア、日本幕末の行動

ベーリングはロシア帝国の探検隊としてカムチャッカから北に航行してアラスカを、同行したがはぐれた船と
同じく発見、その後ロシアはロシア正教も主体となりアラスカを領有した。
ベーリングは1741年、帰途遭難してカムチャッカ手前の島で死んだ。

ロシア船(カムチャッカで建造された)の日本近海への出現、日本人との接触は19世紀になり突然に開始されたように
我々は歴史で習ったがそうではない。少なくとも150年以上前、17世紀にはロシアはシベリア、オホーツク、カムチャッカ、
千島、樺太などに来ており、日本との摩擦は必然のことだったようだ。

幕末、米、英、仏に続いて露は日本に開国を求め、その艦艇は幾つカの足跡を残していた。これらの艦艇は
バルチック海で建造されアフリカ、インド洋、南シナ海を経由して来たものだ。
津波で遭難したディアナ号R73b5315394e74989134d9b7fb3b77bb1.jpeg

1854年、下田で開国条約の交渉にきた、最新鋭のフリゲート艦、ディアナ号、2000トン、砲52門、乗員約500人が安政地震の津波で遭難したことは有名だ。乗員は何度かでロシアに帰国した。一部は戸田で小型艦を建造し、帰国した。
この話にはロシア側の柔らかな態度が記されている。靖国神社境内にある青銅砲がディアナ号が転がったときのものだ。

ロシア艦艇対馬占領事件と言うのは1861年、露は対馬を租借地にすべく、芋崎にコルベット艦、ポサドニック号、900トン、蒸気機関、全長59m、砲11門、乗員178名が数カ月留まり、井戸を掘り、兵舎や工場、演習場を建設したことだ。英国艦隊が阻止した。射殺された藩士もいた。
しかし幕府は賢明にも闘わなかった
この事件はロシアの宿命的な野心が明確に見えるもので日本人は記憶すべきことだ。
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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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