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傷痍軍人


写真はライフ誌1939年7月10日号の記事からだ。

私が子供の頃、渋谷や銀座の繁華街には、傷痍軍人がいた。昭和30年代前半の頃だ。
白い病院着に戦闘帽を被り、どの人も腕か足が無かったという記憶がある。2名がセットになり、1名は
アコーデオンで「異国の丘」「戦友」のメロディを弾いて、もう1名はお辞儀をする形で、前には
箱が置いてあった。
祖母と出かけると彼女はそういう人たちを見ると、必ず百円ほどのお札をその箱にいれた。
最後にこういう人たちを見たのは浅草で、昭和50年代の後半だったので、若干年齢が合わない感じがした。その頃にはもう祖母もこの世を去っていたが。

この写真の説明は題が「戦争の代償」と言う意味で「中国戦線で足を失った兵士達が義足をつけている様子(バスケットボールに興じている。)多くは中国軍の機関銃で足を撃たれたのだ。中国軍は機関銃をよく装備しその狙いが低かったので、日本兵は脚をやられたのだ。彼らは東京の療養所でリハビリ中だ。
この2年間の戦闘で、200万人派兵したうちおよそ15万人が死亡し、45万人が負傷した。」と言う記事が付けれていた。

昭和40年代初頭、ドイツを旅行した際にやはり、中年の男性で手足を失った人を何人か目にした記憶があった。

アメリカでは第二次世界大戦後も朝鮮、ベトナムなどから傷痍軍人が大勢戻った、このライフ誌が書いた
ように皮肉にも同じことがアメリカにも起こってきた。
現在、アメリカを旅していると「バリアフリー」の見事さに感心するが、その背景は傷痍軍人にある。
傷痍軍人が車椅子などで出来るだけ不便しないように、社会や政府がその対応に出来るだけ腐心し、予算も使っているからだ。
硫黄島の戦いではアメリカ軍は2万人の傷痍軍人が出た。現在もイラクで若者が命を落とさなくても障害者になる危険を顧みず作戦を続行中だ。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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