「戦艦大和」60年、お札の像に。
- 2005/06/20
- 15:58
「戦艦大和]を日本通貨のデザインに使ったら」と言ったら非常識であろうか。
現在、日本のお札は表に人物が、裏は、例えば1万円札は[鳳凰」、千円札は「富士」と言うようなデザインである。しかしこれが「戦艦大和」だったら意味はないか。「戦艦大和」は日本人にとって特別な意味がある存在のひとつだ。
戦艦大和が「天号作戦」で沖縄特別攻撃に出撃し、約2500名の乗組員、その他艦艇の約1000名とあわせ、約4000名が命を落として以来、60年、そろそろそういう世論が出て来てもおかしくない、と感じるが。
この発想は、軍国主義とはまったく関係ない。
むしろ逆だ。「戦艦大和」は日本人が戦争を語る際に忘れてはならない最も悲劇的にして、最大のオブジェクトであることに間違いないからだ。
沖縄戦を語るにも、若者が大勢搭乗した「神風」と「戦艦大和」は日本の歴史上忘れてはならないものだ。非戦の誓そのもの、象徴だ。
「戦艦大和」と姉妹艦「戦艦武蔵」の話は周知の通りである。1941年、呉で建造され、
65000トン、総装備重量72800トン、46cm砲9門を備えた、史上最大の戦艦であった。
その砲は1・5トンの徹甲弾を東京から平塚の距離まで到達させる巨大なものであった。
その装甲は未だかってない厚さだった。大戦中は「戦艦大和」は連合艦隊旗艦であった。
「戦艦武蔵」は前年レイテ沖海戦で沈められた。
「戦艦大和」は日本連合艦隊に残された、最後の切り札であった。
アメリカ海軍は沖縄沖に6艦の戦艦を準備して待ちうけていた。
もし天気が悪く航空機攻撃が出来なかったら、戦艦同士の史上最後で最大の海戦が行われたことであっただろう。
アメリカ海軍空母から発進した400機の艦載機に、大和は100基以上の25mm3連対空機関銃が対抗したが、10発の魚雷を受け4月7日、午後、沖縄へ320kmの海中に沈んだ。
私が生存しているうちに是非「戦艦大和」がデザインされた日本の通貨、お札を使ってみたい。
写真はアメリカ海軍歴史館サイトより。
攻撃を受けている「戦艦大和」は3月19日、瀬戸内海で58機のアメリカ軍艦載機攻撃のもの。このときの損害は軽微であった。