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1982年スペインワールドカップ前夜の高橋 治之

画期的な年だった。
私のクライアントJVCはウエストナリーを通じて、大会スポンサーだったが、切符が取れなかった。
その作業が電通に振られた。
ウエストナリーのジャック坂崎との会議に高橋のまだ子分ではなかったが鶴田も出た。
(鶴田は同時に「ショートトラックスケート全国大会のビデオ判定機提供」の話を持ち込んでいた。ネズミのような顔付き
から”ズルタ”とも、後に電通役員になった。)
ジャックは苛々しており、いきなりズルタを怒鳴ったりもした。
高橋はスペインに行き、アデイ・ダスラーが仕込んだ会社ISLとFIFA、スペインの連盟などと電通との間を持っていた。
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私は次のパッケージの契約のためJVCと連日深夜までの会議だった。相手の法務担当松岡が静岡高校の同級生
であったことも幸いした。夏の暑いとき、24億円の契約をもらった。30代後半の私の次の10年間を決めた夜だったが。

高橋の努力か知らないが、毎日、10枚、20枚と切符が集まり、JVCはワールドカップは凄い、こんな世界的な
プロモーションはない、さすが電通だと言うことになったが、切符の問題は、契約に試合当日まで電通の責任とあったから、
まずは84年の欧州選手権、フランス大会で大変なことになった。86年メキシコも。
その時、高橋が私に付けてくれたのはズル田ではなく、三浦 信樹だった。三浦と高橋は親父が日本教育テレビ、
テレ朝だったので、パパ友だったのかもしれない。信樹は体の大きな男だったが、後には趣味の音楽版権の会社
社長となった。彼と切符の入ったカバンを持ち、支社の金庫に向かったことを覚えている。故人だ。

余談だが、スペイン大会事務局切符責任者は、翌年のバカンスの最中、事故死したそうだまたFIFAがダスラーと癒着することに反対した副会長、伊のフランキも運転手が休んだので自分で運転して事故死した。
一時が万事、スポーツはマフィアのお仕事であり、高橋 治之はそれにすっぽりくるまれてしまったのが、この年だ。
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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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