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No title
ターク・タカノ氏ご推薦の映画です。
後味悪いですが。
No title
攻めてくるシーンが印象的です。
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。
写真は中国軍突撃の犠牲者、数百人の単位だった。中部の戦闘ではこのような光景はしばしば見られた。
昨年、韓国映画「ブラザーフッド」を見た。
朝鮮戦争で、かの地の人たちの並大抵でない、辛苦、悲劇、テーマが絞れ、演技も演出も、
戦争シーンも良くできた作品で、私の戦争映画「100選」に入れた。
1950年6月25日、戦争が勃発したニュースがラジオから流れた時、我家は食事中だった。
父親が「えらいことになった。」と,しばし箸を置いて、天井を見つめていたことが妙に記憶にある。
同、日曜日の早朝、38度線を越えて、南に侵攻してきた北朝鮮軍は、旧日本軍戦車(九七式中戦車と推定される)を先頭にしていた。
映画「ブラザーフッド」やアメリカ映画「ポークチョップヒル」には、共産軍が三八式小銃とみられる長い、銃剣を付けた歩兵銃をもって繰り返し繰り返し突撃してくるシーンがあった。
実際、旧満州にあった日本の奉天工廠は、東北工廠として、観察される限り1949年製まで日本製小銃、機関銃用の弾薬を製造していた。
20年ほど前、東北工廠製造の日本兵器用弾薬はアメリカに輸入された。弾丸と薬夾の間が緑色のワックスで塗られているのが特徴だ。弾丸被甲も銅の含有量が多く赤い。
機関銃用弾薬木箱は、日本の方式と同じだが、粗末な材料と造りで緑色に塗装されている。
朝鮮戦争中期、北を支援するために中国から侵攻した義勇軍の装備にはさらに多くの日本軍の兵器、
防寒具が使用されていた。
兵器は九二式重機関銃、三八式小銃、三十年式銃剣である。
朝鮮戦争で鹵獲された三八式小銃は、菊紋は削られており、銃床の痛みがはげしい。負い布は、厚い帆布製である。銃床は、匍匐の際についたもので、日本では痛みがひどいと、下部だけ取り替えたが、
中国軍の手入れは雑であった。
朝鮮戦争は「人海作戦」と言われる、大規模な歩兵の攻撃を戦略の一つにしていたので、消耗がはげしい
戦闘には古い兵器を投入したのであろう。
後半にはソ連製、中国製ソ連兵器が投入された。
(続く)
写真は(Joseph C. Goulden著Korea the untold story of the warから海兵隊資料写真)