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「大空のサムライ」 坂井 三郎著


坂井 三郎氏は下士官の零戦操縦士だった。写真は「大空のサムライ」と「その続」光人社刊

中国戦線(九六艦戦)で初戦を飾り、1941年12月8日は零戦に搭乗し、台南基地からフィリピン攻撃に参加した。
その後ニューギニアのラバウル、ラエ基地、ガダルカナルへの長距離攻撃、負傷。
内地での目の治療、
戦線への復帰、そして硫黄島と、海軍航空隊の歴史を歩み、数々の戦闘で危機にさらされたが、何とか
この戦争に生き残った。64機を撃墜した日本の撃墜王の一人だ。
本の中に、
同じような描写が幾つか出てくる。例えば、エンジン未調整の待機してあった機体に整備員の制止を振り切り乗り込み敵機の攻撃を受けながら離陸、機体をだましだまし操縦し、敵機を仕留める、と言う話はラバウルと硫黄島であった。

しかし、彼の飛行士としての理論に基づいた飛行訓練の記述はかなり信憑性が高く、全体として「大空のサムライ」は、中国、太平洋の空中戦をほぼ正確に捉えていると判断できる。特に吹流しを標的とする訓練の具体的記述はこれほど詳細に書かれたものは少ない。

これと対比するに海軍兵学校卒源田 実氏の「海軍航空隊始末記」があるが、源田氏は日本で最初に航空母艦への離発着を行った操縦士ではあったが、その内容は「自慢」に押されていて、感動が少ない。
坂井氏は水兵から選抜され操縦士になったので、士官に対する対抗心(裏返せばコンプレックス)があったようでその種の記述も何件かあった。また陸軍航空隊には殆ど触れてない。接触がなかったのだろう。

坂井氏は、零戦の翼内エリコン20mm機銃に批判的だった。彼の撃墜の多くは胴体の八九式7.7mm固定機銃(2挺、各600発携行)で行ったとしていた。連合軍のブローニング13.2mm機銃を高く評価し、弾道の正確さ、威力から実質的な航空機機関銃としていた。彼の経験では、空中戦での旋回機銃の命中率は固定機銃の7分の1としていた。
B-17爆撃機を初めて撃墜した話も試行錯誤、かっこよくは書かれてない。

坂井氏と1970年頃、電話でお話したことがある。氏から仕事上のことで掛ってきた。
お会いはしなかったが、何回か電話でやりとりした。高い声だが、穏やかに話す方であったと言う印象だった。当時、印刷会社を経営したいたと記憶している。

坂井 三郎氏は1916年、佐賀県生まれ、戦争が終了した時は29歳だった。
「大空のサムライ」は英訳されて、欧米でも戦記書として有名だ。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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