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「日中戦争」 4 児島 襄著



日中戦争が始った。
この巻は1937年夏から約1年間に起こったことを明細に記したある。
事実を学ぶと、現在中国側で、日本の歴史認識に関しごちゃごちゃ言っている共産主義者は、ほとんど
当事者ではなく、当時者は日本軍と国民政府軍(中華民国)であった。
共産主義者は軍事的な実力は十分には備えられてなく、ゲリラ的戦闘と、扇動を行うのみであった。
従って、日本に歴史認識を求めるなら、中華民国が当事者であるべきだろう。

1937年7月通州事件という日本人が中国保安隊に虐殺される事件があり、これが日本で感情的に報道された。元々、中国に住むと言うことが安全なことではなかったし、ないのであるが。

この1年間に日中の戦争は全土で、本格的になった。
日本軍は上海、抗州湾上陸、南京攻略(1937年12月)、その前後各地で戦闘を繰り返しながら、
徐々に中国奥地に入り込む。
1938年、漢口に日本軍が近づいた際、中国軍は黄河の堤防を爆破し、大洪水を引き起こさせる。
日本軍の進軍を止めるためだ。しかし、最終的にはこの洪水で3500の部落が水没し、60万人が被災、12万人の住民が行方不明になった。これも日本軍の責任か。中国軍の責任だろう。

南京大虐殺、著者は「蒋介石が重慶に本拠を移し、抗戦を唱えたが、日本側は南京陥落こそ戦争終結の途と考えていた。城都は陥ち、逃げ道をうしなった中国軍将兵は軍衣を捨て市中に紛れ、追撃する日本軍との間に未曾有の混乱を生じしめる。」としている。

児島氏によれば南京の住民は日本軍の攻撃が始った段階で、100万人から25万人に減少していた。大虐殺、さまざまな手段で1日間に12万人を殺りゃくした事実は物理的な根拠が弱い。
例えば穴を掘り3万人を生き埋めにしたなど。常識で考えても不可能だ。
日本軍は南京攻略で21300人を失っており5万人が傷病した、従って中国軍に対する慈悲はなく憎しみのみであったろう。
特に軍衣を便衣(民間人の衣服)に着替えてしまった軍人は、国際法ではスパイをみなされ処刑されるのが常識だ。何千、万という単位で中国兵は便衣に着替えてしまったり、変装した。
これらの便衣の兵士は見つかればその場で処刑された。

南京の中国側には確固たる指揮系列が無く、撤退や抗戦が明確に指示されてなかったことも混乱の原因だ。最高責任者の総統がはやばや撤退してしまったからだ。混乱の中、死亡した人間が多かった。

中国軍は当時、ドイツ軍事顧問団に指導されており、ナチスドイツから多種多量の近代兵器を購入していた。ナチスの良い収入源であったので、ナチスドイツはこの件に関して積極的だった。
日本はドイツにこの件を止めるように外交手段を通じ働きかけた。

一方、日本の武器兵器は、一層威力ある、大量生産がきくものにすべく、開発が進行しており、
それは1939年、九九式兵器として制定されることになった。
(写真は1937年8月8日、北支の鉄道線路での戦闘で火を吹く十一年式軽機関銃、「中国戦線の日本兵より」)

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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