fc2ブログ

記事一覧

伯父が戦争に持って行った刀



九七式重爆撃機の操縦士だった伯父は1944年11月に漢口に向かう途中、撃墜され戦死した。

奇跡的にも彼の遺品は遺骨と共に、和歌山の実家に届けられた。その行李の中に、この刀は入っていた。
軍刀拵えだ。戦争末期、良く漢口から和歌山まで届いたものだ。

彼の弟、叔父、昨日がんセンターで手術を受けた、が保存していたが、20年ほど前から私のところに他の箱入りの写真、手紙などの記録と共に来ていた。

銘は「濃州関住兼定作」とあり、確か重要刀剣か何かの書類もついていたが、今その書類は貸金庫だ。
形は良いが、もう限度くらい、細くなっている。
細い直ぐ刃だ。

叔父と3日ほど前に病院で話していたら、この刀は祖母の実家にあったものだとのことだ。

従って、買ったものではなく、家にあった刀を軍刀にしたもので、戦死した日は搭乗に際して、刀を帯びていなかった。漢口が基地で、衝衛から撤収する途中だったらしい。

私の代にはこの刀も遺品も保存できるが、その後はどうなるか。

もう疲れが出ている刀なのか、最近、くもりが見えるようだが、これはどのように手入れしたら良いだろうか。
軍刀拵えのほかに白鞘があり、それに収めてある。

スポンサーサイト



コメント

No title

私は、まあ基本的にはガンスですね。
場合によっては笛とか、太刀、双剣などなど、
遠距離はつかってません→ダイアーまだですか?

No title

兼定は切れ味では定評があるので、美濃の刀の中では「珍しく」ニセの多い銘です。画像ではなんともいえません。
どこかの目利き馬鹿は軍刀など、刀とみなさないでしょうが。最後の挺身兵器、かつ英霊の形見。大事にしてやってください。

No title

シナ大陸の奥地から戻ってきたもの、大切にします。
戦後の登録もあります。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


現在の閲覧者数:
カウンター :

月別アーカイブ