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1939年のアジアの著者、コリン・ロス氏は米国情報員



コリン・ロスはオーストリー出身で、ドイツのジャーナリストとして、1939年年初より、日本に入り取材活動を行った。写真は著者と、ライフ誌の記事。

ライフ誌1939年7月10日号の8ページの「戦争機械ー日本」と言う記事は、彼の本「原題、新しいアジア」と内容が酷似ししていた。
「靖国神社」、「若者の教育」、「天皇と政治」、「日本の神々」、「戦争が始って2年、日本本国は栄えているように見える。」の題のとおり、
1939年初頭の日本の様子をかなりビビッドに描いていた。
このライフ誌の記事はコリン・ロスの著作であることにまず間違いない。
ライフ誌の原稿締め切り、5月末を考え合わせると、彼は何らかの方法で、誰かに原稿、写真を朝鮮半島から満州に向かう間に渡していただろう。
彼自身が直接郵便を使うならどんなにしてもアメリカに送ったことはばれてしまうからだ。

さらに、彼の「1939年のアジア、日中戦争見聞記」日本の部分は「ジャプ・ソルジャー」小冊子に殆どが逆説的に引用されていたことも間違いない。上記の記事に加えて、「工場地帯」「一億人の100年計画」などだ。

コリン・ロスはアメリカから日本に入った。
まだアメリカとドイツ、日本は戦争状態でなかったので、ドイツ国籍の彼は欧州からアメリカに渡り、
そして日本にも来れたのだ。しかし、戦争地帯の中国大陸で、日本占領地から重慶に入るには相当な
背景と根回しがなければならない。
彼はいたる処で、車を使い、カメラなどの大荷物をもち、資金をふんだんに費やして旅行していた。
重慶には日本軍の戦闘機を恐れつつ、昆明から飛行機を使っていた。また突然そこに「妻」が出てくる。
「妻」がどこかで合流したわけだ。
(写真では典型的なゲイの感じの人であるが。)

ナチスドイツと国民政府は近い関係にあった。武器輸出でナチスは大もうけしたからだ。
しかし翌年の1940年、三国協定を結んだ事実にあるように、ドイツは日本と協定することを望み、
すでに国民政府から撤退したいた。
アメリカのパックアップがなければ、ドイツ国籍を言っても日本占領地域から重慶に入れた訳はなかった。国民政府とアメリカはビルマルートを通じて近い関係にあった。
だから彼はアメリカ通過中に何らの接触でアメリカの情報員になったのだろう。得体の知れない人間だった。
第二次世界大戦、そして冷戦下、情報作戦は国家の方針を決めるに無くてはならない要素だったが、
日本は「スパイゾルゲ」、中国系のスパイ、情報は取られるだけ取られ、日本自体の情報収集はまことに
お粗末であった。

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コメント

No title

なるほど、日本にきていたんですね。

No title

ドイツ人ジャーナリストとして来るなら拒めないし、取材にも協力したようです。しかし本人は日本の当時の現状を良く理解し、好意を抱いていたとしか思えませんが。スパイとはそういうものでしょう。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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