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日露戦争の日本兵ー海軍陸戦隊




日本海軍の陸戦隊は日清戦争の際、艦艇別に編成され、主に、上陸作戦、停泊中の艦艇の警護、拿捕艦艇の制圧などの目的があった。当時、武装はヘンリーマルティーニ銃(アメリカメイン州製)を使用していた。
日露戦争では戦艦、巡洋艦などには組織的に陸戦隊が編成され、その任務はますます重要となった。

海軍は志願兵で構成され、日露戦争時の士官の多くは英国で訓練を受けていた。
20世紀初頭の日本海軍の水準は欧米以上であり、士官、兵共に高い教育を受けていた。
またもともと資質の良い兵で構成されていた。制服、戦闘服はセーラー服のままであった。

写真の士官2名は装甲巡洋艦「浅間」所属。勲章を授与された際のものだろう。

写真の陸戦隊は戦艦「三笠」の所属であった。散髪されている兵は、おそらく10代の若い兵士だったろう。明治の人間は日本が「町民国家」以前の状況だったので、顔つきが異なる。

戦艦「三笠」上の小隊を構成している陸戦隊は約25名で、二十二年式小銃を装備していた。
専門の戦闘要員以外にも通常は他の任務についており、必要が生じた場合、陸戦能力が発揮できるように
小火器の操作を訓練されていた。日本海海戦では戦艦を含め多くのロシア艦艇を拿捕したので、陸戦隊は敵艦艇に乗り移りその指揮権を行使した。装備していた小火器は陸軍の古いものであったようだ。
1904年に南部陸式拳銃を採用した。

日本海軍は英国海軍の組織、訓練を踏襲しており、陸戦隊も独立した組織(アメリカの海兵は独立して
国としては陸、海、空と海兵、4軍組織である)ではなく海軍の一部で各陸戦隊は艦艇に所属したいた。
英語では、マリーン、マリンコ、ブルージャケットなどと呼んだ。


艦艇以外に各鎮守府ごとに舞鶴、佐世保、横須賀、呉など大規模に編成されるようになったのは1932年の上海事変の頃であった。各鎮守府陸戦隊は数千名の規模であり、その中から1940年代初頭には
空挺部隊が編成された。陸戦隊装備も陸軍戦闘部隊と変らないもの、それ以上のものとなった。
陸戦隊は、中国の作戦、太平洋各地の島に駐留し、戦闘した。終戦時の規模は各種警備、防衛隊を含め、
60万人の規模であった。

(写真はいずれも[Japan's Fight for Freedom]より)

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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