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日露戦争の講和その1、



写真、上は東郷連合艦隊司令官の凱旋式典。東京、新橋。新橋に「凱旋門」があった。
下はルーズベルト大統領を挟んで日露講和交渉全権大使。画像は「Japan's Fight for Freedom]より

100年前の7月、日本は樺太を占領し、これで講和の条件は整ったと考えた。

アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは本心から日本のことを考えていてくれた人だったと思う。
ロシアもほっておけば、国内の不満は暴力的な行動に拡大し危険な状況だった。

彼の提唱で、日露はアメリカ東海岸における講和交渉の席に着くことを了承し、各々全権大使を派遣した。
日本の全権大使は小村寿太郎、ロシアはセルゲイ・ウイッテだった。
各々母国を発ち、アメリカ東海岸に向かった。

7月23日、小村はミネソタ州セントポール市に到着し大歓迎を受けた。同地の記者会見で、小村は、日本のこの戦いのポイントを
1、正義の戦いであった。2、日本は腐敗がない。これが国力を上げた。3、日本人は質実剛健である。の3点をあげた。
小村はニューヨークで、駐米公使高平 小五郎、元法相金子 賢太郎(日本の戦時債権販売で貢献があった)と合流した。

ロシアのウイッテは、圧倒的に日本ひいきなルーズベルトに対抗するため、アメリカの一般世論を味方に付ける策に出て、これは成功した。

日本は当時の戦争の勝利国の例として、巨額の賠償金を要求してくるだろう。
しかしロシアの財政にはその余裕はまったく無かったからだ。

ウイッテはキリスト教徒であることを強調し、教会に現れ、記者団に愛想を振りまいた。
何よりも強かったのは、彼はアメリカのユダヤ人を使ったことだった。彼は、クーン・レープ商会J.シュと会った。
ユダヤ資本はリーマンも、ゴールドマンも、その他いろいろな金融機関が、日本とロシア二股掛けて
軍事資金をべらぼうな利率で貸し出していた。もしロシアが完全に敗北するとロシアへの貸付は焦げ付いてしまう。この心理を上手く利用し、ロシア国内のユダヤ人の待遇改善などもちらつかせたと言う。
これは利いた。ユダヤ人はマスメディアに影響力が当時も今も強いから、世論は急速にロシアに好意的になった。
(皮肉なことに第一次世界大戦で日本は輸出が伸び、日露戦争の借金は完済したが、ロシアは共産革命、
この首謀者もユダヤ人が多かったが、で崩壊し、借金は焦げ付いた。)

講和交渉は東海岸ニューハンプシャー州ポーツマスで8月から始まり、9月に締結された。

セオドア・ルーズベルト大統領は、両国の事情を一番良く知っており、この功で「ノーベル平和賞」を
受賞した。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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