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神風特別攻撃 その1



写真は、「インテレピッド」博物館(同サイトより)と関大尉が攻撃した「セントロー」(サイト特別攻撃より)

毎年この頃になると、大戦末期の日本の「特別攻撃」を思い出す。

ニューヨーク市42丁目波止場に係留されて今は博物館となっている小型空母「インテレピット」は、レイテと沖縄で2度の日本の特攻機攻撃を受けて損傷した。
10年ほど前、ゲームソフト発表イベントをこの博物館で行い、大戦中同艦の乗員であったガイドから特攻攻撃の話を直に聴いたことがあった。

「どこともなく現れた日本機にありとあらえる火器を発射した。私は恐怖でその機体以外は何も目に入らなかった。翼の日の丸が目に入ったとたんに甲板に激突、爆発で艦体が震えた。まだ多くの対空火器射手は引き金に指が掛ったままだった。機を見てから激突までとても長い時間に感じた。日本の操縦士の遺体が甲板上にあった。艦にも何十人かの犠牲がでたが、誰もが彼を一種の感動を持って長い時間眺めていたことを思い出す。」と言うような内容だった。これはレイテでの話だった。

1944年10月25日、海軍敷島隊がレイテ沖アメリカ艦隊に対して最初の特攻攻撃を行った。
隊長の関大尉は、海面すれすれに空母に接近し、上昇反転して、護衛空母「セントロー」の甲板上の開いていたハッチから内部に激突。燃料や爆弾が誘発し、「セントロー」は轟沈した。関大尉は23歳だった。
日本軍の最初の特攻攻撃だった。零式艦上戦闘機に250kg爆弾を装着していた。

日本の特攻攻撃は、現在のイスラム原理主義者の自爆テロの原点となっていることは間違いないだろう。
テロリストは若者に日本の特攻隊のビデオを何度も見せて、鉢巻をさせ、洗脳していると言う。
しかし日本の特攻攻撃は妄信が生まれたものではない。また罪のない民間人を相手に行ったものではない。もしイスラムの自爆テロのことを聞いたら、特別攻撃で命を失った日本の約4000人の若者は嘆くに違いない。特攻は軍事戦闘手段として行われたものである。テロではなかった。

先のガイドの話だが、アメリカの操縦士に、状況が同じなら君達も日本の操縦士のように体当たり攻撃をするか、と質問したら、殆どのアメリカの操縦士は同じ行動を取ると答えていたそうだ。
(続く)

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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