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日本海軍の名誉その2、第三〇二航空隊


写真は局地戦「雷電」上昇力が優れていた。海軍は陸軍に比べると、本土防衛のための局地戦闘への対応が遅れた。

戦艦大和が沖縄に特攻攻撃して、殆どの艦艇を失った日本海軍の末路は哀れであった。
約60万人の地上要員を陸船隊、防衛隊をして主に日本本土に配置して本土決戦では、特攻と陸戦をおこなうべく準備していた。横須賀工廠などでは総力をあげ、地上用兵器の生産を行っていた。

零戦に替わり、局地戦闘機「雷電」を三菱は堀越技師、高橋技師が開発し、その性能は航続飛行時間が2時間半と短かったが、全幅10m。全長9・7m、全高約5m、1800馬力発動機を備え、武装は零戦と同じく胴体7・7mm2挺、翼内20mm2挺であった。6000mまでの上昇時間が5分半ととても上昇力が早かった。
この20mm機銃は零戦のものとは異なり、零戦の九九式1型は60発いりドラム弾倉を使用していたが、九九式2型は200発のメタルリンク給弾方式を使用し弾薬も大きく威力があった。

第三〇二部隊は、神奈川県厚木に基地として、この雷電をはじめ、零戦、彗星、月光(双発斜め銃)、
銀河などの新鋭機を揃えていた。

司令官は小園 安名大佐で、松山第三四三隊と同じく、すでの失ってしまった艦載機の経験ある操縦士をそろえていた。

紫電改、雷電はおそらくP-51と同技量の操縦士同士が戦えば互角の性能があっただろう。
しかし、第三〇二部隊は本土決戦に戦力を温存していた感が否めない。

第三〇二部隊の撃墜戦果は120機(うちB-29機80余機)としていた。夜間戦闘能力をはじめ総能力からB-29を80機撃墜したと言う数字は疑わしいが、艦載機の攻撃、P-51,F6Fの邀撃には大いに力を発揮したはずだ。
1944年11月、来襲したB-29,P-51,F6Fに対し戦果を上げた。

厚木の第三〇二隊は、海軍航空隊最後の要として、
松山の第三四三部隊とならび戦争後期の海軍の要であったことは確かであっただろう。

1945年8月15日、終戦の報のあと命令不服従の行為が幾つかみられ、第三〇二部隊は汚点を残した。。

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