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日本陸軍航空隊局地戦闘機の活躍 その1


写真は陸軍四戦局地戦闘機「疾風」キ84

陸軍の戦闘機は、九七戦(ノモンハンでソ連戦闘機1000機を撃墜したと言われている)、一式戦「隼」いずれも軽戦闘機で、翼の構造など軽くしかも強くするために、翼内に機関銃を収納することが
できず、胴体の7・7mm八九式固定機銃2挺のみであった。

八九式固定機銃は元はイギリスのビッカーズ機銃で、軽量、頑丈で安定性が高かった。同じく海軍は
7.7mmを九七式固定機銃として制定していたが、殆ど同じ機構、性能しかも口径だのに、弾薬に
互換性がなかった。
一緒に作戦すると言う考えがまったくなかった証左であるが、後に南方の前線では大いに不便を感じた。

7.7mm2挺の胴体固定機銃はプロペラの間から弾丸が出て行く機構で、主に敵機の搭乗員を狙い
これをもって撃墜した。また当時の戦闘機は航続距離があった。携行弾数は600発くらいもあった。

しかし、大戦末期、連合国の本土空襲、B-29や護衛のP-51のような高性能機にはこのような小口径の武装では歯がたたなかった。
そこで現れたのが、中島四式戦「疾風」であった。
「疾風」は重戦闘機で、航続距離もあり、上昇力が良く、2000馬力クラスの戦闘機(海軍の
「雷電」「紫電改」と並び日本の3大防衛戦闘機としてあげられる存在だ。)

全幅11.2m、全長9.9m、全高3.4mでやや小型だったが、その武装はブローニング系20mm2挺、12・7mm2挺で、命中率の12・7mm。威力の20mmの組み合わせで、防空戦闘に大いに威力を発揮した。

驚くことに1943年半ばから2年間の間に3500機が生産されたと言う事実だ。
連合軍は関東地方奥地宇都宮の中島航空機工場を爆撃すべく日本本土に侵入したが、この爆撃で1945年2月、B-29,12機が撃墜された。関東地方各地の陸軍基地から発進した陸軍機の戦果であった。

武装の12・7mmはブローニング機銃・50口径を模倣したもので「一式機銃」とよび、20mmはそれを拡大した「ホ五」式機関砲であった。
皮肉なことにブローニングの国、アメリカでは20mmのブローニング機銃は存在せず、エリコン系を
使用していた。

第二次大戦の後期には各国はその国の事情で一番手軽な技術を採用したので、敵味方まぎれていた。

「疾風」は本土決戦のために各地に温存されていた。現在2-3機が存在している。

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