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日本陸海軍航空隊の技術と実力 その名誉


写真は「日本航空機の装備 1940-1945年」表紙
Japanese Aircraft Equipment 1940-1945 Roveret C. Mikesh A Schiffer Millitary History Book

第二次世界大戦までの日本の軍事技術評価はおかしなことに、この日本では、「とても欧米水準に遅れた
精神主義的なもの」か「世界一だったが物量に負けた」の2極分化の傾向がある。
現実はそのどちらでもない、細かくいろいろな現物を調べていくと、日本の技術力は現在、様々な工業製品で日本が世界の水準以上を行っている、その基盤は1943年頃から45年までの厳しい時代に端を発しているものが多かった。
これも歴史の事実である。反戦主義者も現実は率直に認めなければいけない。

大戦後期に日本は官民を上げ、高技術産業育成に努めた。
そのひとつが「航空機産業」であり、その基礎が現在の自動車産業、電気産業などに移転したと筆者は推察する。航空機産業はさまざまな高技術産業の上に成り立っているからだ。
航空機は、材料の金属、発動機、計器、武装、燃料、電気系統などなど、設計以外にも多くの細かい技術の積み重ねである。

第二次大戦中、日本の航空機産業は生産数、機体7万機、発動機13万台で、アメリカの同じ期間の26万機に比較すると少ないが、英国、ドイツのそれぞれ9万機に続いて世界4位であった。
機体の製造会社は17社、発動機製造会社は10社あり、産業人口は60-100万人の規模だった。
ただし、機種が多くて陸海軍で約90種あった。これは生産効率を下げた。
名古屋の三菱航空機工業は世界最大規模の生産設備だった。

最近英国で発刊された、Robert C. Mikesh著「Japanese Aircraft Equipment](日本機の装備、1940-1945年)は実物を良く調査した大変興味深い資料である。

内容は1、計器類、2、通信機類、3、光学カメラ類、4、機銃類、5、光学照準器類(機銃と爆撃)
特に原型のまま欧米に保存されている日本機の操縦席、計器板などのカラー写真は秀逸である。
特に日本の技術が優れていたとされるのは、戦闘機機銃の光学照準器であった。
操縦席の見やすい位置に反射させて照準を投射する方式だった。零戦など多くの陸海軍の戦闘機はこの方式の光学照準器を採用した。

日本陸海軍とその兵器開発、製造会社に名誉にかけて言うなら、当時の技術水準は欧米並みかそれ以上のものも沢山あった。
戦争の勝ち負けは様々な要素があった。はじめから無謀な戦争に突入したために多くの国民が命を失った。
しかし、国民の命以外に失ったものもまだ沢山あったし、残ったものも多かったのである。

機体や発動機のみならず、上記のような装備品の開発製作会社においても現在も各分野(兵器でなく)で
活躍している会社の名前が沢山みられる。

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コメント

No title

戦争を肯定するわけではありませんが、日本の技術すごいですよね。

No title

近隣諸国は日本の技術の独占を恐れていると感じます。

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Author:japaneseweapons
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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