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日本軍人許せない男の象徴「辻 正信」


写真は中佐時代の辻 正信、写真に修正を加えてあると言う。

60年前の暑い夏、連合軍の爆撃、特攻攻撃、国民の前途不安な窮乏生活。
この歴史的事実に、大いに責任があったにもかかわらず、戦後の混乱期に衆議院議員、参議院議員になった許せない男がいた。
様々な戦争記録を読むと彼の名前は「無謀」な戦争に突入した過程で、、日本国が判断を誤った一つの象徴として浮かんでくる。
勿論、当時の彼の地位では国の意思決定には直接影響は与えてなかっただろうが。
しかし、彼のような傲慢、そして無神経、論理性のない精神主義、国際性のない人間達が日本を間違った方向に導いてしまったに違いない。
その代表的な男が「辻 正信」であった。

「辻」は陸士を卒業後、日本陸軍の参謀として、日本がその後の判断を誤った様々な作戦に関与しており、その誤った判断で多くの国を愛する将兵が犠牲をなったばかりか、虚偽の報告をしていた事実もあった。当時の帝国陸軍は優れた勇敢な軍人も多くいたのに、彼のような人間が出世し、参謀として野戦の
司令官に命令を与えることもあった。

辻参謀は1939年夏、満州モンゴル国境でのノモンハン事変の際、参謀として一師団がまるまる壊滅して作戦に責任があった。本部の指令を聞かず、兵力をつぎ込み優勢なるソ連軍のわなにはまったのだ。
その前にも中国戦線で、補給が十分でない前線で野戦の大隊長に無謀な作戦を実施させ、無為な犠牲を強いてもいた。参謀として、野戦の指揮官達を臆病者として恫喝し自分の野心のために無謀な作戦を強行させる術に長けていた。
この手の人間が1930年代後半に日本の良識を駆逐していったのだ。直接、
彼の思想、性格、資質が問題なのではなく彼を重要な地位に採用していった、陸軍の体質が問題だったのだ。辻はとても、まともな作戦が立てられ、判断が出来た人格のあった人間とは思えない。
マレーシア、シンガポール、彼は日本軍と共にどこにでもいた。
また1942年にはガダルカナルに飛び、北海道の一木支隊全滅作戦の参謀であった。

一説によると、連合軍操縦士捕虜の処刑を指揮したり、カニバニズムを推奨したと言う。(この辺の話はあやしいが。)

さらに、日本国民と言うのは戦後も戦前と同じくこの手の人間に対して、評価が出来ないと言うか騙されると言うか、選挙で議員に選んでしまうほどお人良しなのだ。
彼は戦犯になるのを恐れ逃亡した。数年間、ビルマやタイで、1万キロを逃避したとしていた。
朝鮮戦争が始まり、連合国が日本の戦犯追及の手を緩めると、何と彼は衆議院議員に立候補し、当選したのだ。またその後は参議院に移り日本の立法府でぬくぬくと、自分が直接間接殺した人間の関係者の支援を受けていたのだ。まったく口のうまいやつだったに違いない。
1961年、東南アジア情勢視察に行くと出て、僧侶姿に化け、ビルマで行方不明になり死亡宣告された。

彼のような資質の人間は現在の日本の組織にはまだ大勢残っている。これは人間の本当の資質を見抜く力が国民個人にも組織にもないからだ。民主主義は一人ひとりの国民が、自分の評価で代表者を選ぶ、何度も言うが個人の知識の多さ、能力の高さが社会の水準を決定する。日本人はいくら勉強してもし足りない。

過去60年間の日本の「愚民化政策」そのなかで「日教組」の果たした役割を糾弾し、是非、先進諸国の一員として適切な判断が出来る国にならねば、60年前に国のために死んだ人間に申し訳ない。

私は辻が靖国神社に合祈されているとは思わないが、もし遺族などの要望でそういうことになっていれば
それは靖国神社の趣旨を異なることを提起する。

海軍の源田 実氏も参議院に立候補し、その演説を子供ながらに聞いた覚えがあるが源田氏はまともな
人間のように私にはうつった。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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