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日本の誇るべき航空機用計器類



航空機はどんなに簡単な形式でも、1、速度計、2、高度計、3、ボールバンクインジケーター、4、上昇計、5、磁石、6水平義の6つの計器は必要である。特攻機「桜花」はこの6つの計器と、ロケットの推力計のみだけしか計器盤には見えなかった。

零戦などの戦闘機にはこれらに加え、発動機回転計、発動機温度計、同油圧計、油温計、電圧計、整流計、燃料圧力計、燃料計、などの計器が加わった。
また、無線機関係の計器、射撃関係の計器(照準、残弾など)、操縦関係の計器(下げ翼角度計、脚指示器、航路計など)、方角関係の計器、ADF(中波を使い方向を見つけるもの)
従って今から60年以上前の単座戦闘機でも20個以上の計器と各種スイッチ類が、操縦者の前、左右にびっちりと隙間なく配置されていた。
単座戦闘機操縦者はこれら全ての計器を見ながら操縦することは言うに及ばず
対空警戒をする、敵を見つけて空中戦を行う、もしくは地上、海上の目標物に向かって攻撃を行うのだから、超人的な訓練と能力を要した。(1941年末で日本はアメリカと同数程度、数千人の操縦士がいて、さらにまだ訓練中であった。)

国際的に日本の計器類は精密で安定しており、高品質であったと評価されていた。これは1942年夏に鹵獲された零戦を試験したアメリカ空軍の評価の結果であった。

主な製造会社は以下であったが、現在でも様々なハイテク製造で高名な会社ばかりだった。

愛知航空機、富士航空計器、日立製作所、萱場計器製作所、三菱電機、日光(ニコンに同じ)、日本精密電気、日本光学(ニコン)、島津製作所、品川製作所、田中計器製作所、東光(東京東学、現在のトプコン)、東京航空計器、東京光学器械株式会社、東京計器製作所、柳製作所、横河電気製作所などの名前があがっていた。

日本の戦後産業史を見るとその原点は戦前特に戦中の兵器開発生産にあった。戦争そのものの良し悪しの議論は別にして、日本は殆ど孤立して戦ったいたので、兵器の開発力、技術力、生産力などは戦後に引き継がれた。(他国から兵器供給が殆どなく、自国で開発、限られた資源と技術で生産した。)
多くの犠牲を出し、また勤労奉仕など国民に負担を掛けた戦争だったから、何か進歩が残ってなければ、国民の辛苦は浮かばれなっただろう。

こういう技術史も戦後60年間、日本の若者にはまったくと言っていいほど教育されてない。
各社が編纂した社史も戦中の部分は省略されているものもあるが、ある会社などは戦中の苦労を非常に
詳細、正確に記述してあり、それらは私のような研究者にとても役にたっている。


写真はアリューシャンで鹵獲された零戦のアメリカでの試験飛行。この機体は計器類もそのままでスミソニアン博物館に展示されている。計器版は陸軍一式戦隼のもの。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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