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広島、長崎への核攻撃は防げなかったか。その1


1945年8月6日、広島、9日、長崎へのアメリカ空軍のB-29単機攻撃による核攻撃を防衛することは
出来なかったのか。
日本陸軍、海軍の航空隊は本土各地の基地から邀撃する防空戦闘機隊が大編隊で襲来するB-29に対しては
着実に成果を挙げていたのになぜ、単機で侵入してきた高高度B-29攻撃を防げなかったのかはひとつの謎である。
本土には電探(レーダー)が陸、海軍が地域を分担し配備され、その連絡網も整備していたはずだ。

単機で高高度で侵入する敵機は偵察が目的であり、これを待ち構えて攻撃するのは効率が悪い、が恐らくその理由であっただろう。日本の戦闘機の高度1万mくらいの行動能力は極端に悪く、操縦士への酸素供給、電熱服の装備もお粗末だったのだろう。

新刊、「Japanese Aircaraft Eouipmnet]第5章は、航空機の機銃と機砲に記述がある。
「日本の機関銃」の中にも収納されなかった、陸軍の37mm機関砲3種の写真が掲載されている。
陸軍はブローニング方式機銃を大口径化した。それも1941年からわずか4年間で、最大57mm
まで開発した。(本国アメリカでは12.7mmが最大口径であった。)

一式(1941年)は12.7mm(弾薬はイタリアのブレダ方式の小型なもの)
二式(1942年)は20mm、ホ5、弾薬は125mmの長さ。これを軽量化したホ3を開発。
ホ155,30mmを開発。それぞれ機体に合わせて装備した。
そして多くの戦果をあげた、37mm。戦車砲の口径であって、15発弾倉収納半自動式機関砲。
これにはホ203、ホ204などがあり、口径は同じでも弾薬の威力は異なった。
ホ301は40mm。(無反動方式)
そしてホ401、57mmを完成させた。

海軍は20mmエリコン(スイス)機銃を、九九式として(1939年)製造し、零戦に装備した。
これを改良し威力を増加させた九九式二型を局地戦闘機に装備していた。
さらに河村博士にエリコンの30mmを開発させた。

1945年8月初旬、日本全土には恐らく3-4000機の強力な実用陸海軍機が各地に隠蔽され、燃料、弾薬などが温存されていたと推察される。

もし、高高度単機侵入のB-29を見逃さないと言う方針があったなら、広島、長崎の悲劇は防げた可能性はあった。なぜなら、陸海軍は広島、長崎に飛来したB-29を探知していたからだ。

続く。

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コメント

No title

確かにF-13の撃墜例はあるものの、それは技量優秀な搭乗員によってかろうじて達成したものでした。仮に原爆機の撃墜をするとすれば、高々度性能に優れた迎撃機、早期警戒網の整備が必要でしょうが、当時の日本にはいずれもありませんでした。 日本側では暗号解読によってテニアンの特殊任務隊の存在は察知していましたが、その任務が原爆攻撃であると確信したのは、長崎被爆後のことでした。 仮に、戦力温存化による出撃抑止命令が無かったとしても原爆機の撃墜の可能性は非常に少なかったと言わざるを得ないでしょう。

No title

現実はそうかもしれません。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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