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広島・長崎への核攻撃は防げなかったか。その2


写真は伊号大型潜水艦 全てが芸術品的な兵器であった。戦後のミサイル搭載原子力潜水艦の思想だった。

太平洋戦争後半の展開を見てみると、日本海軍は戦術的に二つの大きな愚作を長年行ってきたことの結論が見える。
一つは言うまでもなく、「大艦巨砲主義」であった。自らが1941年末から42年初頭にかけて証明したとおり、航空機の前に艦艇は敵ではなかった。
これは航空母艦でもおなじで、大戦中、日本は25艦の大型空母を含む空母を製造したに対してアメリカは4倍の主に小型空母、輸送空母を100艦製造した。太平洋は広い、機動力から言えば数の勝利は目に見えていた。

日本への空襲、核攻撃の防止に関して、日本海軍は長年、アメリカを仮想敵国として準備をしていたにも関わらず、ひとつもう一つ、太平洋の広さを誤っていた。

アメリカの軍事本を読むと、アメリカ軍は「太平洋はその広大さのゆえ、守りは難しく、また攻めも難しい。」と記述してあるものが多い。しかし、戦場が日本に近くなるとそのアメリカの攻撃も困難を極めた。日本軍は拠点(タラワ、硫黄島)などを固めてあり、その攻略に手を焼いたからだ。
輸送力に裏づけされた戦力全般は距離の二乗に反比例すると言う。

また日本本土攻撃(空爆)には日本へ大型爆撃機の航続距離が届く基地、サイパン、テニアンが必要で、
その基地にはアメリカ本土から、殆どがハワイを経由して膨大な軍事物資、人員、爆弾、燃料などを
海上輸送しなけばならず、日米のハンディキャプは逆転した。
日本はニューギニア、フィリピンへの輸送の多くあるときは80%以上を沈められ、前線は人員、
食料、弾薬の補給がなく、壊滅したからだ。
ではなぜ日本は、このアメリカのハンデぃキャプを逆手にとることが出来なかったのだろう。

それは日本海軍の潜水艦活用策が最初から間違っていたからだ。
日本海軍は1000t超、2000tまでの大型艦、「伊号」を100艦近く製造したが、500t-1000tの中型艦「呂号」は30艦しかなかった。
もし太平洋の広さを考えてアメリカの潜水艦のように中型艦を多く製造すれば中型艦は300-400艦は保有できたことだっただろう。勿論、艦長など指揮官の養成に限界はあったかもしれない。
(兵学校卒業者の数は限られていたからだ。)

アメリカ大型巡洋艦「インディアナポリス」の例にもあったように、
原爆は開発、製造、そして使用までその期間が短かったので、爆弾本体の輸送には非常に苦労していた。「インディアナポリス」は7月16日にハワイを出て、30ノット近い高速でテニアンに原爆を輸送した。
輸送後であったが。7月30日、伊58号により同艦は轟沈され、約1200名乗員のうち約300名しか助からなかった。
これを原爆がテニアンに届く前に出来なかったのだろうか。多分出来たはずだ。

「伊号」潜水艦の搭載されていた「晴嵐」をスミソニアンでみたことがある、5cmの誤差しかない筒に収納され5分間で飛行準備が出来たそうだ。芸術的な兵器であった。この思想は戦後、原子力潜水艦からのミサイル発射になって実現した。日本の潜水艦技術は世界一であったことは間違いない。しかし運用方法がちがっていたのだった。

潜水艦は大型でも小型でも、爆雷か魚雷を一発くらえば沈む。
日本は中型潜水艦を有効に使う案をとっくに却下し、アメリカ本土が攻撃できるとか、欧州まで往復できるとか、の妄想で、敵方の輸送破壊をおろそかにしていたのだ。

太平洋は広い、日本はその広い太平洋を活用し、また守らなければ生きていけない国であるという現実を
今も忘れてはいけない。

続く。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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