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広島・長崎への核攻撃は防げなかったか。その3


技術的、物理的にアメリカの核攻撃を防止できなかったかどうか、2回、空と海の防衛の具体的な誤りに関して述べた。

今回は視点を変えて、日本がなぜあのような、世界史上前代未聞の「孤立した」状態で数年間も戦争を続けたか、またその終わり方にまったく筋書きがなかったか、の「不思議に関して」の問題提起である。

1、まずは外交を松岡 洋右に任せていたこと。1933年満州国承認を巡り、日本は国際連盟を脱退するが、他の方法各国への「根回し」で満州国を承認させる努力はしたのか。しなかった。

2、日米交渉、アメリカの妥協案、「日本の中国からの撤兵、みかえりに満州国承認」これに
松岡 洋右は反対し、独ソ線の開始でアメリカのこの案を撤回したが、日本は本当に唯一の機会を、彼のみの反対で失った。

3、ナチスに近づきすぎた。しかし日本人はナチスの本質や欧州の情勢を理解してなかった。戦時中もナチスの要請にも関わらず日本人は第二次大戦中も満州や中国でユダヤ人の活動を利用していた。

4、「マンハッタン計画」をはじめ連合国の情報をまったく入手していなかった。これは孤立化政策のために情報がはいらなかったのだろう。中国には情報網はあっただろうが、連合国は中国には殆ど情報を流していなかった。

5、連合国は1945年5月のナチスドイツの降伏後、対日戦をどう終了させるかで苦悩していた。
(ドイツ降伏の際に一緒に降伏する手はあったが日本では誰もそのような発想にならなかった。)
すでに戦後の冷戦の芽生えがあったからだ。戦後の冷戦と共産主義の台頭には当時のアメリカ民主党政権の責任は重い。特にフランクリン・ルーズベルト大統領。彼は偉人でも何でもない!

6、ホツダム宣言の内容、特にソ連の真意、動向を予測するすべも、知識もなかった。

結論として、1945年初頭の日本指導者は今の「金 正日」さま以下の理性的な情勢判断、課題把握、交渉手段、何も持ち合わせない、子供以下の指導者だった。

A級戦犯靖国神社への合祀に関して、松岡 洋右にのみ昭和天皇の意向か、宮内庁から疑義がだされたそうだ。

日本を「目を覚まさせる」ためには非戦闘員の住民を大量殺害する核攻撃しかなかったか、と言うとこれにはまた異なる議論はある。乱暴な決定であったことに間違いない。
しかし、日本側にも彼らが恐れた「特別攻撃」しか手は残されてなかったのだ。
アメリカは国内世論で、対日戦闘でこれ以上、犠牲を出せる状況ではなかった。ベトナムやイラクと
桁違いの損害だった。ベトナムで10年間、数万人の犠牲を出したが、日本本土だったら数日間で同じくらいの数字になっただろう。

以上の歴史上の教訓をどう生かすか。
1、国際協調は必要だ。常に味方がいないと勝てない。(日露戦争の例にあった。)
2、現実を直視する。現在も近隣国には核保有国がいる。これは現実だ。
3、何事もバランスだ。松岡 洋右の例を出すまでもなく、インフェリオリティコンプレックスの固まり
みたいな人間に国の将来は任せられない。近衛さんのように無責任な人間にもだ。

以上。写真は1933年、国際連盟脱退の松岡 洋右、ニュース映画では威張りまくっていた。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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