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日本軍がゲリラ戦が出来なかったわけ。


1942年初頭、フリッピン諸島を日本軍が占領し、アメリカ軍が撤退した後も、一部のアメリカ人は
同地に残りゲリラ活動を指揮した。
潜水艦から無線機関係備品、武器、兵器を補給してもらい、情報活動をアメリカ軍の再占領まで続けた。
住民と共同作業であったが、住民の兵器装備は悪かった。
アメリカ軍が残した殆どの兵器と装備は日本軍に鹵獲されてしまっていたからだ。(日本兵は鹵獲品のジーパンをはいていたそうだ。)

逆に戦後、ルパング島に残った小野田少尉以下数名の日本兵は日本軍弾薬を隠匿し数年から29年間
戦闘を含むゲリラ活動を行った。日本軍が第二次大戦中、戦後を通じても行ったゲリラ活動は限られたものしかなかった。組織的には、
アメリカ人著者がまとめた、サイパン島における陸海兵30余名のゲリラ活動が唯一のものだったろう。
山に隠れ、日本軍が洞窟に残した、食料と兵器で、終戦まで戦闘を行った。
山に土産品を収集に行った水兵が狙撃殺害されたりした。また度重なる掃討戦闘にも逃げおせた。
しかし一部のゲリラは、日本人民間人の収容所に時には潜り込み、援助と得ていたと言う。

「ゲリラ戦闘」は日本軍に向いていたものではなかった。その理由は、

1、一般の兵には限られた情報や知識しか与えてなく、兵個人が指揮を受けず自分で判断できる能力を養成していなかった。
2、日本軍は「組織戦闘」をその手段とし、ゲリラ戦を想定していなかった。
3、原住民との「協力活動」を行わなかった。(ゲリラ戦には住民協力は必要不可欠なものだ。)

(但し、終戦後、インドネシア、ベトナム、その他の国で、日本軍人が住民に協力し、再度進駐してきた
植民地軍と戦い、国の独立を助けてことはあった。)

「日本人はゲリラには向いていない民族」である、と感じる。その理由は教育にあるだろう。

私がアジア各地で仕事をした経験でも、唯一、現地人から信頼され尊敬を集めていた人で、この人ならゲリラをやれると思われたのは、T自動車の元副社長のY氏くらいだ。
ゲリラを取りまとめるには、信頼されるが、厳しいリーダーの資質がある個人でなければならない。

日本の教育はもとより「集団主義」で、個人が自分で状況を判断し、行動をとるように育てるものでなくて、その概念は現在にも引き継がれている。

現在のビジネスマンも「ゲリラ」はできない。本社の指示、みんなで出す判断、上司の指示、同僚との協調、こういう方面に力が出るように教育されてきたからだ。個人で動ける人は本当に少ない。

ゲリラ活動には、「創造性」もなければならない。ゲリラは自給自足、兵器も自分で工夫しなければならないからだ。

小野田少尉は、ジャングルで拾った海軍の鋳物製筒の九九式小銃に、多量に入手した九二式重機関銃の起縁薬夾弾薬を縁を岩で削り、九九式小銃の薬室に合わせて単発で使用していた。

写真は小野田 寛郎少尉、サイト「hiroo onoda]より。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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