「広島への原爆投下」をスピルバーグに映画化させる。
- 2005/08/05
- 21:41
かって、広島の「平和記念資料館」を訪れた際、私は「小学生が持っていた弁当箱」の前で身体が凍りついた。随分長い間その弁当箱を見ていたと記憶している。
それを持っていた子が自分に乗り移った気分だった。
母親に昼の弁当を作って貰い、それを持って勤労奉仕に行く途中だった。
午前8時15分、彼の頭上で原爆が爆発した。一瞬にして彼は炭化した。
母親は、少年を探しに探し、夕方、ようやく道端に倒れている彼を弁当箱で識別した。
彼はどれほどこの永遠に食べれなかった弁当を食べることを楽しみにしていただろう。
アルマイトの弁当箱は真っ黒で、中に炭化した穀物が固まっていた。
ショックだった。
広島、長崎への核攻撃の事実は60年間たち、完全に「風化しつつ」ある。
「平和運動」とか「核廃絶」と言うようなお決まり文句では世界の耳目を集めることは不可能だ。
広島、長崎の事実を知らない人間はアメリカ、欧州をはじめ世界各地に山ほどいる。
核の怖さ、非情をそれを世界に訴えるなら、もう他の手段を考えるべきだ。
私は、「スピルバーグ」に以下のようなシノプシス(荒筋)を送り、彼に映画化を勧めたい。
それは、1945年8月5日の夕方から、24時間の広島を中心に展開する話である。
くだんの少年の家庭も出てくる。貧しい夕食、しかし団欒はある。母親が翌日の彼の弁当を乏しい材料で何とか工夫と頭をひねる。
ホワイトハウス、トルーマンはスターリンの法外な要求に言葉もない。
皇居では、鈴木貫太郎がポツダム宣言の解釈を天皇に説明している。
広島憲兵隊本部では数日前、撃墜、降下したアメリカ軍B-24搭乗員達への暴力的な尋問が行われている。
東洋工業では乏しい材料で昼夜を分かたず九九式小銃本土決戦型を生産している。
テニアン島では「エノラ・ゲイ」の整備、「リトルボーイ」搭載準備が進んでいる。緊張する搭乗員。
小月基地では、単機でも侵入機への体当たり攻撃を進言する操縦士がいる。渋い顔の司令官。
同じく呉でも高射砲部隊が訓練に励んでいるが、残弾を気にする部隊長。
沖縄では相変わらずの特攻攻撃への恐怖から精神に異常をきたすアメリカ兵がいる。
連合軍捕虜が港湾作業に狩り出されている。
士気の緩んだ日本陸軍部隊の下士官。やたら大きなことを言う日本軍将校。
補充兵。衛生兵。軍医。看護婦。
教会で祈る神父。(広島にも教会はあっただろう。長崎はキリスト教徒の街だったのだ。)
生まれたばかりの赤ん坊をあやす母親、などなど、
さまざまな人生模様が、6日の夜明けを迎え、まぶしい夏の空、そして時計が午前8時を過ぎる。・・・・・・・・題は[Hiroshima 8:15am]にでもするか。
こういうオムニバス的なストリーだ。スピルバーグはこの手の映画を作らせたら「太陽の帝国」にあったように天才だ。淡々と人々を描くだけでよい。
それらすべてが一発の核爆弾で全て破壊されてしまうのだ。
映画は、人々に強いインパクトを与える。もう広島、長崎を世界中に訴えるにはこの手しかない。
私はこのシノプシスを英語で書いて、スピルバーグに送ることが、今、自分に出来る唯一の平和運動だろう、と思う。
また、隣国は核を保持していることを忘れてはいけない。左翼の「原水禁」運動はすでに死んだ。
写真はatomic bomb museum より