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航空機が戦争に使われるようになった 「ブルーマックス」戦争映画100選 その84


ニューヨークから北へハドソン河沿いに2時間ばかりドライブすると、ラインベックと言う村に着く。
そこの広大な草地で、夏の間、第一次大戦中の空中戦のショーがある。
勿論使われている機材は当時のドイツ、フランス、英国、アメリカの戦闘機に似せて今の発動機を搭載したレプリカだ。機関銃の音や、発煙、爆弾などを使い、地上の基地や農家を攻撃したり、くるくる回りながら空中戦を行う。観客席に座り、それらを眺めていると時間のたつのを忘れる。

[The Blue Max]は1966年、「レマゲン鉄橋」の監督John Guilerminの作品だ。
Jack Hunteと言う人が原作を書いた。第一次大戦中、西部戦線のドイツ対英国、フランスの空中戦の話だが、主人公、舞台はドイツ側だった。言語は英語。役者もドイツ人はほとんどいなかった。
敵機を20機撃墜すると、受賞できる勲章「ブルーマックス」(本当にそのようなものがあったか知らないが)からきた題名だった。

ブルノ・スタッヘル(George Pepapard)は、塹壕戦の歩兵だったが、試験を受けて、適性ありと判断され
戦闘機操縦士になった。当時,戦闘機操縦士は貴族か上流社会出身の軍人で、彼は異色だった。飛行隊はクルガーマン将軍が指揮し、有名な各種フォッカー戦闘機、黒い十字がドイツ空軍の目印だった。中でもDr1と言う3枚翼の赤い機体に搭乗したフォン・クルガーマンは将軍の甥で撃墜王だった。
彼だけがスタッヘルと親しくしてくれ、空中戦闘のコツを教えてくれた。
これに将軍の若い妻、伯爵夫人(Ursula Andrews)が2人に絡んだ物語だった。
(なお赤いDr1に乗って有名だったフォン・リヒト・ホーヘンと言う実在の人物がいた。)

英国の戦闘機は主にS.E.5、フランスの戦闘機はA24に似た機体だった。単発、複翼、巡航速度は100kmくらいか。武装は主に7・7mmクラスのベルト給弾の2挺の機銃だった。
大戦初期には複座で、操縦士と機関銃手と2名搭乗していたが、大戦後期にはルーマニア人が発明した
プロペラの間から機関銃と発動機がシンクロする仕組みができて、操縦士は敵機に狙いを付けて格闘戦闘を行うようになった。

フォン・クルガーマンとスタッヘルは戦闘の帰りに戯れに橋の下をくぐる競争をした。スタッヘルは障害物に気がついたがそれを合図せず、フォン・クルガーマンは衝突し、墜落し死亡した。

戦闘シーンは強度があるレプリカなので、スタントなどなかなか見せ場が多かった。
当時、機関銃は主に操縦士を狙い、操縦士に命中させることで、機体を落したので小口径のものであった。

日本人の滋野男爵がフランス空軍の戦闘機操縦士として有名であったが、彼を題材にした映画は日本で作れないものか。オーストラリアやニュージーランドにも、第一次世界大戦中のレプリカを飛ばしている
ところがあるそうだ。

航空機の操縦には適性がある。3次元の世界だからだ。また瞬間的判断も必要だ。
勿論、現在の航空機と第一次世界大戦時のものとは性能や電子機器は比較にならない。しかし基本的な
機体の姿勢維持変更の動作は同じだ。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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