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優れたドキュメンタリー「空の神兵」 戦争映画100選 その86


第二次大戦に現れた、新しい戦闘部隊は「空挺部隊」だった。
ドイツの西部戦線電撃侵攻、連合軍のノルマンディ作戦、など大規模に空挺部隊は戦争初期から終わりまで活躍した。現在の空挺隊は回転翼機を使用するが、当時は落下傘降下か、滑空機であった。

日本軍は1942年、1月、海軍空挺隊のセレベス島メダン、2月、陸軍空挺隊のスマトラ島作戦で、空挺隊、こんな戦法もあったのかと世間を驚かせた。

「空の神兵」は同年9月公開、脚本、監督は渡辺 義美、監修陸軍航空本部、ドキュメンタリー作品であった。現在、何回か見直してみても質の高い、優れた記録映画であった。約1時間の中篇、白黒、同時録音作品。「陸軍落下傘部隊記録映画」と言う副題がある。
また、「藍より青き大空に大空に、たちまち開く百千のま白き・・・」の歌「空の神兵」は今聞いても良い曲だ。この曲は高木 東六作曲、梅木 三郎作詞、他の背景の音楽も優れていた。

記録は、宮崎県新田原にあった陸軍空挺隊訓練所の入隊式から始まる。各師団からの選抜された強兵ぞろいだった。落下傘の構造、折りたたみ収納、そして、厳しい地上訓練。室内降下訓練など珍しいシーンが多く、経過を追っていた。
「被服支給」、空挺隊用の頭部をすっぽり覆う帽子、繋ぎ服、編み上げ靴など、一式。収集家が見たら100万円でも付けるだろう。繋ぎ服は引っかからないと言うことだが、アメリカの空挺隊は短い上着だった。
いよいよ輸送機からの降下訓練になった。
飛行場には中型双発輸送機(機名は分からないが)固定脚、プロペラは水平型が20数機見えた。
1機には8名くらいしか搭乗できない。教官は落下傘を装着せず、訓練生の装具を前、後ろと点検する。
索を機体に固定し、一人づつ間をおかず降下した。降下地点では将校の教官が大声で着地直前の訓練生に
声をかけた。着地寸前に前面の補助傘を先に落した。
1機が1分隊で、3機編隊で1小隊、20数機で200名ほどの大隊規模の作戦が行われると言う設定だっただろう。

いよいよ総合演習の日がきた。
大隊単位の落下傘が次々と大空に開く様は壮観だった。
地上の降りた兵は拳銃を構え、小銃と軽機関銃の収納された箱を目指し走った。箱には布きれのような
細長い緩衝物が銃の間に入っており、まず九九式軽機関銃を出し、つづいて九九式小銃を次々と出した。
1機分が1箱に収められていたようだ。その他にどのように降下させてかは不明だが、九二式重機関銃、
九七式20mm対戦車砲、八九式擲弾筒、火炎放射器、そして野砲も見えた。
機関銃の射撃、射撃音は凄い。
空挺用兵器としては、同年、分解式の二式小銃、翌年一〇〇式短機関銃が生産された。
丘の上の敵地を目指し突撃し、隊列を組んで、行軍するシーンが続く、そしてカメラがひくと、桜の木、桜が散っているシーンで終わった。

この記録映画に出てきた兵士の顔顔、この中の一人として生き残った者はいなかっただろう。
ルソン、レイテ(高千穂隊)そして沖縄で全員が戦死した。

なお、渡辺 義美監督はその後、海軍伊号潜水艦の記録「轟沈」を製作した。そして、次の作品ために1944年レイテ島へ行き、きしくも、日本の空挺部隊が全滅したと、同じ場所で死亡した。戦争は優れた日本の映画界の財産を失わせた。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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