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シンプルな物語だがほろりとする「五人の斥候兵」 戦争映画100選 その101



筆者には1930年代後半の日本と中国の戦争ほど、その背景が曖昧で、よく理解できない歴史的事実はない。日本国民は果たして全面的に戦争を望んでいたのであろうか。

この映画は1938年度、日活作品、監督 田坂 具降、北支戦線のある中隊を描いた作品だ。

ベネチア映画際に入賞し、最初の日本映画の海外受賞作だった。
物語はシンプルだ。
岡田中尉(小杉 勇)指揮する中隊は大隊本部から離れ、中国軍が駐屯していた村を攻撃しそこを占拠した。しかし2人の小隊長のうち1名は戦死、200名の兵力は80名にまで減った。
中隊長は毎夜「陣中日誌」を書かせていた。その内容からもこの戦闘がいかに過酷で、多くの犠牲を強いるものか、が垣間見られた。喜んで戦争していた姿勢ではなかった。
傷病兵は多い。夜中に本部からトラックがやってきて、傷病兵を運搬していった。助かりそうも無い重傷者もいた。
無線や電話がないので、コミニケーションは伝令が走るか、騎馬でやってきて、状況や命令を伝えた。
本部の指令により、
中隊長は藤本軍曹(見明 凡太郎)を含め5名の兵士を攻撃前の敵情偵察にだした。
その出発の際、「着剣、弾込め」の命令の元、5名の兵士の一糸乱れぬ操作が参考になった。
俳優も軍務経験のある者ばかりだったからだ。

この映画は兵器を正確に捉えていた。九二式重機関銃、十一年式軽機関銃、そして三八式小銃と白磨きの
初期型の銃剣。騎兵は当然ながら騎兵銃を背負っていた。
兵が一列になり走るシーンが良い。小銃を片手で下げて、低い姿勢のままかなりの速度で走りつづけた。
それをレールを引いたカメラが追った。

5人の斥候は、敵のトーチカ、塹壕を発見したが、深入りし過ぎて敵の激しい攻撃を受けた。反撃しながら、河まで戻ったところではぐれはぐれになった。
5人のうち4人はばらばらになり戻ってきた。最後の木口一等兵は戦死か、と報告されたが、彼も渾身の力を振り絞り夜中に星の位置を頼りに中隊に戻った。それを喜ぶ中隊全員。しかしその中隊も明日の命は分からなかったのだ。報告で、「23発発射」と戦闘で消費した弾薬数を言った。

シンプルに戦闘の真実を伝えているだけだが、最後の出撃のシーンはなぜかほろりとさせるものがあった。
背景に「海いかば・・・、山いかば草むす屍」がながれ、彼等80名の多くが還らないことが明白だからだ。
戦意昂揚のためにはならないつくり終わり方だった。
岡田中隊長の言葉を借りるなら「中華民国に反省を促す」と言う戦争だったそうだ。

この作品は多摩川の日活スタジオに中国の村のオープンセットを制作して撮影したと言う。
村の大きな門はなかなか立派に出来ていて、村の将校や兵が宿舎とする建物も真実実があった。
映画技術的にはオーバーラップを使っているくらいで凝ってはないが、カメラアングルや撮影は当時の日本映画技術の高さを示す良い作品だ。

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コメント

No title

てめーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー市ね

No title

これはチャイニーズだな。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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