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木下恵介が貫いた題名だけの戦争 「陸軍」 戦争映画100選 その107



少年の頃、同監督の「24の瞳」を観た。木下恵介監督は戦争は嫌いだった。しかし戦争が分かっていた人ではないと思う。
この作品は「陸軍」と言う大げさな題名が付いているが、一人の母を通して、反戦をテーマとして自分の信念を貫いていた。うーん、これはうまい、と感心した。
だから戦争映画100選に入れるべきか否か、迷ったが、やはり戦争をある面から見て、しかもそれが
すでに日本の敗戦が濃くなってきた頃に公開された作品だからその意義を認めた。

「陸軍」は1944年公開作品で、北九州のある家族の話だ。原作は火野 葦平。
物語を明治維新から日中戦争までの、日本の歴史を登場人物が、会話で述べていくスタイルだ。
主な時代背景は、昭和だ。日露戦争に赴いたが活躍の場の無かった頑固者の父智彦(笠 智衆)と、その家の使用人から彼の妻となったわか(田中 絹代)とその息子が主なる主人公だった。

木下監督のうまいところは演技者の顔のアップ、表情で語らせる部分だ。
勿論時代背景を考えると、反戦映画は絶対製作できない。しかし、彼の信念を表現するために、当時の名女優、田中 絹代の、言葉と表情をうまく使い分けたのだ。

わかは身体が弱く、おとなしい息子、幸太郎に厳しく育てた。
そして台詞では、「男の子を生んで、育てたら、それはお国ためであり、お国のために死んでもらうのは親としての名誉だ。」と。
幸太郎も20才になり徴兵検査でかろうじて合格し、福岡連隊に入隊した。
順調に訓練について行き、上等兵に昇進した。父も母もこれを喜ぶ。
1937年、日中戦争が勃発し、連隊は上海に派遣された。だが、幸太郎は新兵教育担当として
残る。これを両親は会話で「早く戦場に赴き活躍して欲しい」と述べた。

問題は最後の数分間のシーンだ。いよいよ息子の大隊も中国に出発することになった。
母は見送らぬつもりで店番をしていた。しかし何となく気もそぞろだった。

大隊は小隊ごとに隊列となり、数人のラッパ手のラッパに合わせ、街の大通りを駅まで行軍した。
そのラッパの音が店に聞こえてくると、堰を切ったように、たまらなくなり、母は走る、走る、ひと目、息子の顔を見たい、恐らくそれが最後であろうと直感的に知り、走る。
橋を渡る、河の別な橋を連隊が行軍していた。(ここは素晴らしいカメラワークだ。)
路地を縫って走り、転ぶ。とうとう連隊に追いついて平行となり、群集の中を走った。
幸太郎を見つけ、その横について走った。田中 絹代の顔の表情で木下監督は、全てをこの最後の数分で自分の戦争への思いを語った。うまい!

恐らく、どんな親でも子供が国のためだろうが、何であろうが死んで本望だと言うのは嘘であり、これが
最後の別れだった、と言うのを彼女の表情は語っていた。
幸太郎は母を、ちらっと見て微笑むが、分隊長として、小銃を担ぎ、隊列を守って真っ直ぐ進む。

小銃にすべて白い布が巻き付けれていた。小銃を保護するためか。軽機が見られなかったので、この行軍は撮影の為に群集も集め、行われたものだろう。
検閲官は木下監督の意図を見抜いていたのか、どうなのか。さすがに当時、一番人気の田中 絹代の表情に文句をつけるわけにはいかなかったのだろう。
田中 絹代の演技力、今の日本女優が10人束になっても敵わない。笠 智衆は寅さんの「御前様」役でおなじみだった役者だ。
しかし私は木下 恵介は嫌いだ。特に「24の瞳」は嫌いだ。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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