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設楽原の戦い


先日の銃砲史学会で聞いた、小林 芳春氏の講演だ。

1675年の織田・徳川連合軍と武田軍の衝突、夏だったらしい。
3000挺の鉄砲を馬防柵を利用して織田・徳川軍が武田軍を破った、これ自体は知らない日本人は何人かはいる時代だが、有名な史実だ。書かれた記録は「信長公記」しかないそうだ。

これを、愛知県古銃研究会、長・設楽原鉄砲隊が実演したVTRの分析、これが面白かった。
4つのグループを3段に分けて、実際に小林氏らが拵えた柵に寄り、発射、装填を繰り返すのだ。
そしてグループごとの効率を分析していた。空砲だ。

日本前装銃協会の競技で、5分間の早撃ちがある。大体7-8発は撃てる。勿論、的を撃つのだ。

このVTRを見て明確になった。射手が後退、装填→前進、発射の行動は効率的でないし、一番遅い人間にその組は合わせなければならない。しかも暴発するかもしれず危険だ。

大体、射撃競技は装填、照準、発射は位置を動かず同じ姿勢で行うのが原則だから、戦闘とは言え、鉄砲の運用はこの原則どおりだったと思う。イラクの米軍の映像を見ていてもその原則は守っている。

多分、射手と装填手を分けて(射撃能力には個人差が大きい)『つるべ撃ち』を行ったのだろうとコメントした。信長・家康はそのくらいのことは十分に知っていた。優秀な射手を選んで撃たせたのだ。
成績の悪い兵は後ろで装填だけをした。

これが「信長公記」にある言葉「鉄砲を以って散々に打ち立てられ」だろう。
もし3000もの鉄砲があれば火縄銃でも、10分間に4万発くらい撃てた計算で、「あっ」と言う間に勝負は付いた、と言うところではないか。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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