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「石岡滑空工業専門学校」 1944年6月


讀賣の焼付けカードからの写真と説明だ。
「初夏の青空に滑空機の見事な編隊が飛ぶ筑波山ろくの大草原
三万坪をきり開いて誕生した石岡滑空工業専門学校生の演錬である。」

画像には1機のセンカンダリークラスの滑空機が飛行しているだけだが、地上にソアラーを含め、6機、
計7機の機材と15名ほどの人員が見える。10名は、台車に載せたソアラーを移動させている。
グライダーの編隊飛行は難しい。

当時の滑空機はいずれも鋼管に布を張りつけた構造で、飛行しているセカンダリー機(中級機)は複座、タンデムで訓練生は前席、教官が後席に乗り、両方に操縦棹があった。
ソアラーは上昇気流を捕まえて、滑空するための上級機で単座である。筑波の山は上昇気流の発生し易い
地形だ。平野の真ん中にあるので、風が吹くと山の3倍まで上昇気流が発生するからだ。
この他にプライマリー(初級機)と言う、斜面でゴム索で発進する方式があったが、この写真には見えない。中級機は索を巻き取るウインチで上昇、上級機は複翼機で曳航したのであろう。

第二次大戦前、グライダーを軍事目的で採用したのはドイツだ。
日本はドイツの理論や方式を取り入れた。グライダーはあまりガソリンを使わずして、個人の操縦適性をみる、操縦訓練が出来る、特に着陸回数を重ねることが出来た。
従って、ある程度、滑空機が操縦できれば発動機付きの飛行機への移行が早かった。そのために操縦士を多量に必要とした戦中、このような専門学校が設立されたのだろう。
ドイツは第一次大戦後、ベルサイユ条約で飛行禁止(但し滑空機は除外)処置がとられていたので次世代の操縦士を滑空機で訓練していた。アルプスの上昇気流を捉え距離飛行も盛んだったそうだ。

中級機の初単独飛行は大体、20回程度の飛行で可能だ。1回の飛行時間はわずか数分だがその間に
旋回など操縦技術と着陸の引き起こしタイミングを学ぶ。

日本の各新聞社は軍に協力し、朝日は陸軍のために学生航空連盟を、東京日日は海軍の操縦士訓練生を受け入れていた。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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