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川西九七式飛行艇に見る整備兵


第二次大戦中の傑作兵器の一つに二式大艇があったこと、日本に1機現存していることは以前書いた。
九七式飛行艇はその前の形式であった。

讀賣新聞焼付けカードには多分シンガポールであろう、海軍水上機基地での九七式飛行艇の発動機整備の様子が画がかれていた。1943年(昭和18年3月7日)
説明には「連日南太平洋の米軍基地に果敢な攻撃を加えているわが海鷲の基地、赤道下の暑い陽を受け
有志は素っ裸で飛征く愛機を整備する。」

鮮明な良い写真だ。
2機の機体が見え、手前の右翼の内側の発動機の被いを外し気化器を洗浄しているのか。気化器に水が入ると上空でアイシングを起こし発動機が止まることがある。

整備兵はふんどしと略帽のみの裸だが、将校、下士官はきちんとしていた。

日本は水上機においては先進国であった。この形式は川西が開発製造した4発大型飛行艇で、横幅は
40mあった。アスペクト比9・7の細長い翼と高い位置の発動機、胴体はパイロンで翼に吊り下げられていた。乗員7名。武装は恐らく20mm1、他は7.7mmだっただろう。航空魚雷2基が搭載できた。
航続距離約4600km、巡航速度290kmくらいだっただろう。発動機は1000-1300馬力だった。

筆者は、整備兵は大体、発動機1基に対し10名くらいがいたと推定する。これは目安であるが、
機体、武装、兵装、発動機その他整備のためにはかなりの部隊が機材に同行しなければならず、その
装具、道具、部品だけでも相当の量あっただろう。従って、南方航空作戦では海軍でなければ出来ない
作戦が主体だった。
また撤退も上手に計画せねば、多くの訓練を受けた優秀な整備士が残されてしまった。ルソン島がその例だ。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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