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特攻が始まる直前の操縦士


背景にある機材と日付が消されているが、内容から1944年秋から年末にかけてのルソン島の陸軍
航空基地を推察される。当時、配備されていた機材は二式戦か三式戦だっただろう。

10名の陸軍夏用飛行服、飛行帽、落下傘ハーネスを装着した操縦士が小隊長から、攻撃目標、命令を聞いている場面だ。(讀賣新聞焼付けカードより)

説明は「レイテの湾の敵を叩き込みつつある勇壮無比のわが荒鷲たちが部隊長から一機も逃すなと激励されているところ」とある。お粗末な説明だ。部隊長が操縦士と同じ飛行服であるわけがないし、10機の小隊を率いる小隊長が「激励」などするわけがない。彼が現実を一番良く把握していたからだ。

隊員達は学徒兵、少年操縦候補生出身であろう。全員、真剣な表情だ。若い。平均年齢20歳くらいか。
しかも顔つきが良く、見るからに優秀な若者達だ。被服、装具のよくわかる優れた写真だ。
しかし、彼らの飛行時間、経験からみるに、ルソン基地からレイテ島オルモック湾までの航法も1名では
おぼつかなかっただろう。航法に慣れた操縦士か、大型機が先導しなければ。

レイテは1944年秋にアメリカ軍の攻撃が始まり、日本海軍は手痛い打撃を受けた。戦艦武蔵は轟沈し、多くの海軍機が失われた。
従って、ルソン島の陸軍航空隊に攻撃の順が回ってきた。ルソンからレイテへ飛び、高千穂空挺部隊などの護衛にもあたった。
恐らくこの写真の操縦士は1名もこの戦闘を生き残れなかっただろう。

やがて、海軍は特別攻撃を開始し、陸軍もそれに続いた。

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コメント

No title

ランダムからやって来ました。 おおおお 私の祖父はルソン島にて1945年7月に亡くなっています。陸軍航空部隊 中尉でした。 爆撃機の呑竜に乗っていました。今も遺品の通信教本、爆撃に関する極秘本?等が大切に保管されています。

No title

写真の操縦士達は一時も日本や日本や家族を忘れたことはなかったでしょう。ルソンは暑い。不衛生なところでした。皆若かった。今の年になり変わってやれることができたら、変わってやりたいです。

No title

初めまして、陸軍の航空部隊ですから、ブリーフィングをしているのは戦隊長でしょうね。確かこの頃既に小隊は4機で1小隊だったはずですね(^^)確か、陸軍は飛行機乗り全体を【空中勤務者】でパイロットを【操縦者】って分けていたと思います。航法ですが、この頃は、海軍機が誘導とかした事が多かったそうですよ。

No title

すみません、追記しますが、この当時の機種は四式戦に順次機種変している部隊が多かったと記憶しています。あと、新藤常右衛門氏が飛行団長としてフィリピンで四式戦で戦闘しています。ちなみに、この方は40歳近くで四式戦に乗り、団長自ら空中指揮をしています、初撃墜が九州上空でのB29だったそうです。

No title

情報ありがとうございました。四式戦闘機が掲載されているカードもありました。探して、書きます。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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