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アッツ島山崎大佐が見送る最後の連絡便


アッツ島はキスカ島と同じく、1942年夏に日本陸海軍が占領したアメリカ領土アリューシャン列島の島だ。翌、1943年、5月にアメリカ軍の上陸作戦が実施され、日本軍ほぼ全員が戦死した。

この画像は讀賣新聞焼付けカードのもので、影などが不自然なところもあるが、(航空機の影は下に、
人間の影は左にと、合成かもしれない。)以下の説明が付いている。
「写真の○印は軍神山崎部隊長の最後の後姿である。あの玉砕の直前、部隊幹部は浜辺に立って基地へ帰る最後の連絡機を送った。」1943年10月の日付け。62年前のものだ。
写真が本当なら5月と言うのに、被服は完全に冬用だ。右から2人目が山崎大佐。

連絡機は二式水上戦闘機と思われる。前長12m、元は零戦だ。勿論、武装も付いていた。
この写真の機材は左右にフロートが付いているが、真ん中に1個、左右にアウトリガー式に小さなものが
2個、が一般的だったようだが。
この連絡機は、千島諸島の海軍基地とアッツ島を結んでいたのであろう。

しかし、これが最後の連絡機だったなら、この写真のフィルムは誰がどうやって日本本土に届けたのだろう。

5月12日にアメリカ軍、11000名の上陸が始り、29日に日本軍は山崎保代陸軍大佐以下、2638名が戦死して、島はアメリカ軍の手におちた。若干の日本兵は生還した。
アメリカ軍は戦死600名、戦傷者1200名だった。
アメリカ軍はこの作戦に、戦艦3、空母1、重巡洋艦3、巡洋艦3、駆逐艦12と言う万全の戦力で臨んだ。

キスカ島はアッツ島よりアメリカ側に存在したので、キスカ島をどうするかが大きな課題となった。

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コメント

No title

あれは機影ではなく水面に映った鏡像でしょう。また、機体は零式三座水偵です。大戦中の写真修正は、撮影地点の秘匿のため背景を修正する等ありますが、この場合であれば日時・場所を公表しているので、加工の可能性は低いでしょう。

No title

キスカは奇跡と言われる撤退作戦を日本軍は行っています。逆に東南アジアの日本軍は玉砕が当たり前。兵を戦場の消耗品としか考えない思想は日本だけじゃないですが、軍人と政治家の無知は「国は滅びて山河あり」。

No title

良い写真だと思います。しかし本当にどうやって最後の連絡機が去る映像が日本本土に持ち帰られたのでしょうか。潜水艦が行ったのでしょうか。 ドラマがあったと推察しますが。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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