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国民政府軍1944年の兵器


中国の国民政府、各地軍閥は1920年代より各国の各種の兵器を輸入しまた自国で生産していた。
讀賣新聞焼付けカード1944年7月28日に、衝陽で投降した国民政府軍とその兵器の写真がある。

説明は「わが猛攻に堪えかねて断末魔の衝陽から武器持参で投降する重慶軍勇士(?)」とある。
約20名ほどの半ズボン、裸足の不安そうな表情の兵士が、3種類の機関銃とその三脚架を担いでいる。
手前はマキシム機銃、その先にホチキス機銃、そして後方にブローニング1909機銃が見える。
3種とも異なる弾薬を使用し、当然部品の互換性もない。
こういう武装をしている軍隊はすでに組織的な運用ができていなかった。

中国国民政府軍や軍閥軍は、チェコから輸入したりライセンス生産したり、また無許可で生産したチェコ機銃を多量に装備していた。日本軍は鹵獲したこれらの機銃を約1万挺くらい制式兵器ではないが、自軍の兵器として使用していた。
弾薬は中国の各地の工廠で生産したものだった。

1944年、日本軍は太平洋の劣勢を挽回するために、武漢から衝陽を経てベトナムに至るルートを開発する作戦を敢行した。斉藤茂太先生の「私の履歴書」によれば、日本本土で編成された部隊は朝鮮半島から、満州、北支を経て、衝陽に達し、そこで初めて各種の装具や兵器を支給されてそうだ。
日本軍占領下の中国各地で生産された装具や、中国軍から鹵獲した兵器を支給したものらしい。
モーゼル小銃は十万の単位で鹵獲していた。
また、日本から衝陽までの旅の間、武装がないのは格好がつかないし危険なので、各種学校から収集した
教練銃を持って行ったそうだ。教練銃は、実物の小銃を見分けが付け難いものもある。
3年ほど前、靖国神社、
遊就館に、「三八式小銃」と展示されていたのは教練銃だったので、お知らせしたが、何の返事もなかった。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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