鈴木 眞哉著「戦国鉄砲・傭兵隊」
- 2009/06/24
- 02:54
平凡社新書2006年刊で、前から読みたかったが昨日、書店にあった。
鈴木氏は「雑賀」(さいか)の研究家で、当時の雑賀の規模を知りたかった。
地域としては今の和歌山市の一部だけではなく、市全体から海南市までの土豪の集まりだったと。
「日本の火縄銃2」にも「紀州の鉄砲」と言う欄で、鉄砲やカラクリの特徴、地域の特殊性について書いた。
この本のなかにも「信長公記」からの引用で、信長の1570年の三好党攻撃に、「根来・雑賀・湯川・紀伊の国奥郡」の衆2万ばかり鉄砲3000挺これあるゆえ」とある部分を紹介していた。
傭兵としての出稼ぎだ。
この「湯川」今は何でもない温泉地だが、祖父が家を持っていたので、小学生のころ、夏休みを過ごした。湾で水泳や釣りも覚えた。
今でも従兄弟たちが近くにおり、田から湧き出る温泉をもっている。
あんなところにも戦国の「鉄砲集団」がいたのか。
祖父が出来銃砲店で購入した水平2連をもって山間の田に連れて行ってくれた。あぜを歩く時に何かを
掴んで投げたので、「何?」と聞いたら「蛇や」と答えた。一番奥に行って数発発射して帰ってきたが、夏になんであんなことをしたのであろうか。
高校生のころ、伯父が湯川の谷に小さなクレー射場を作り、照明をつけて毎晩撃ちにいった。