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前装銃の歴史のあった国くに


本格的前装銃の歴史は15世紀末、欧州からだった。
(前装銃とは銃口から火薬と弾丸を込めて、火縄、火打ち石で発火する鉄砲のこと)

日本には16世紀半ばに伝来し、17世紀にかけて、鉄砲は兵器の全盛を極めた。西欧以外、アメリカ大陸はまだ当時はなかった、前装銃の歴史があったのは日本だけ、と言うのが私の説だ。

近隣諸国には鉄砲は伝播したが、それを自国で装具も含め、国産化し、大規模な生産、効率的、組織的運用、そして昨日ブラス氏が指摘してくれたが、輸出。これらを1600年の時点で行っていたのは日本だけだ。
イエズス会の宣教師の報告を読むまでもなく、日本は当時、欧州のレベルにあった。今もそうだが。

だから日本の歴史認識においてこういう事実の積み重ねを子供達に教えなければならない。
日本前装銃連盟などの活動などでも将来、検討しなければならない事項だ。

昨日、エス会長にHPのことでメールを出した。この説に励ましをいただいた。嬉しかった。

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コメント

No title

銃はこの国の立派な伝統なんですね。日本における「銃」の文化的、技術的な価値を積極的に述べてあることに勇気づけられました。近年、ヒステリックな廃銃思想が広がっていますが、銃の文化を正しく伝えることも重要なことなのですね。

No title

鉄砲の歴史を考えるとき 大砲との関連が気になります。

No title

銃は文化であり、文明なり。日本では大砲の発達がアンバランスだった。地勢的な理由でしょうか。また鎖国して、下部の大きな船を作らせなかったからでしょうか。教えて下さい。

No title

陸で使われる大砲は攻城目的が多かった様ですね、西南戦争時の激戦地が田原坂なのは、ここしか大砲が通れる道が無かったからです。
日本は戦略的に戦で使える道を作らせなかったので、大砲に運用には大きな制限が有った様です。

村上水軍でも「虎そん砲」を運用していた様ですが詳細は不明です。↓
http://www.z-flag.jp/photo/archives/images/suigun03.jpg

No title

カタパルト、ほうろく系の兵器も使われなかったですね。棒火矢などはあったが。

No title

そのいくつかの条件に従えば、小国に分裂していた中世期の西欧すべてに前装銃の歴史があるという定義も不確かになるのではないですか。そもそも西欧と対置して日本がどうという文脈ではなく。

火器という武装が大航海時代にグローバル化したなか、日本はアジア世界の中で突出し、社会変革まで経験したという事実に世界史的な意味があるのでは。

日本オンリーワンを強調することが歴史観を正すとは思えません。

お前に関係ない、といわれればそれまでの話。

No title

いや、とても参考になります。欧州の歴史は国単位になったのは最近のことで、当時の国境は曖昧で、ゴアにいたポルトガル工廠の職人は
セルビア人だったと書いてあります。また産業革命後は共通の技術を持ち、NATOまで様ざまな過程がありとても語りつくせませんが。

No title

初伝銃の仕様が、そのまま400年基本的に変化なく墨守されたのはなぜか?
カラクリの小改良は絶え間なく続いたが、火器の威力を決定的にする滑腔・円弾から施条・長弾への改良はとうとうされなかったわけは?
肉眼の限界をためすような照準システムや、短筒など人間工学を無視した銃床の形になぜこだわったのか?

むしろその辺が知りたいです。

No title

東南アジアにある火縄銃は、日本の輸出品か、現地品ですが、明らかに差が見られます。現地品は工業製品ではなく、ちゃちです。
江戸期の砲術、これは軍事目的ではないのですね。研究テーマは沢山あります。

No title

江戸時代以前の日本の技術では銃身の施条加工は不可能だったと思います。

手元に前装砲用の椎ノ実形砲弾が二種類有りますが 大砲でさえ施条加工の困難さから 砲弾側に溝を掘る物が有るほどです。

No title

>江戸時代以前の日本の技術では銃身の施条加工は不可能だったと思います。

そうでしょうか?
ライフリングが発明されたのは、ルネサンス期のイタリアで、すでに試行が始まっています。
確か銃腔の断面を多角形にしてツイストを与えるHK社のポリゴン・ライフリングのはしりのような姿だったと記憶しています。
無論、コールド鍛造もNC旋盤も無い時代です。

パキスタンのダッラ村にある闇工場では、十代の見習い小僧がボタン・チャッカーが付いた工具でエンフィールド・ライフル(もどき)の銃身を手作業で製造しています。

No title

> 銃腔の断面を多角形
これはウィツトオース銃の事でしょうか↓
http://www.mlagb.com/bisley2005/images/whitworthbullet.jpg
http://www.whitemuzzleloading.com/histor10.gif
これですと1862年なのでエンフィールド銃(1853年)よりも後の物です。

前装施条銃の歴史で言うとヤーゲル銃が先の様です。

No title

前装銃では、ライフル銃は欧州よりアメリカが先と言われてますが。
勿論初期のものは全体がライフルでなく、先の一部だけだったようdすが、とてつもないでかい道具で切ってました。しかし装填に時間が掛かるので、軍用ではなく、猟用、バッファロー狩に使用したそうです。バッファローは200-300mくらいに近づくといっせいに走りだすので、インデアンは毛皮を被り匍匐、白人は一発必中の50口径以上のライフルを工夫したと聞きました。

No title

すいません。16世紀のライフルがどうだったか典拠になる本が見つからず確認できません。確か多角形だった記憶があるのですが・・・。
公式には、英のロビンスがライフルを実用化したのは1742年となっています。著名になったのは、アメリカの民兵が多数装備してからですね。

ご存知とは思いますが、火砲と小火器のライフルの作り方は似て非なるもので、火砲はフック状のブローチ(刃物)で数条づつ何回にも分けて切削する高度な技術が必要なのに対して、小火器のライフルはブローチングでも一気に切ったようです。ピッチの管理さえできれば、18世紀日本の技術でも可能ではないかと思います。

No title

アメリカで見た実演では、数mの長さがある台に手回しの大きな車輪が付いたもので、銃身を台に挟み、ロッドの先の刃が少しづつ切りこんでいくようなものでした。ただ、前装で丸弾を使うライフルは装填に手間がかかり、スカートのある椎の実弾が実用的だったと思いますが。ミニエー大尉まで、そのアイデアはアメリカにはなかったようです。

No title

やはりそのあたりが真相だったかもしれませんね。
速射性に劣り、装てん中うっかりクラウンに傷を付けたら、当たらない銃になってしまうし。

No title

最初、木製のローダーを使い、木製ハンマーで打ちます。弾が小さいと入り易いがライフルに咬まない。ライフルに咬みこみ、丸玉でも
回転がつくと、ライフルなしで100ヤードの有効射程が2-300ヤードに延びます。

No title

ヤーゲル銃は猟銃から派生した物の様ですので、装填時に弾を上から叩ける構造(叩いたとき支障が無い様に薬室の径を小さくする)はヤーゲル銃と同じだと思います。

No title

ライフル銃の起源は民用という常識でよいですね。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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