コメント
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日本は戦略的に戦で使える道を作らせなかったので、大砲に運用には大きな制限が有った様です。
村上水軍でも「虎そん砲」を運用していた様ですが詳細は不明です。↓
http://www.z-flag.jp/photo/archives/images/suigun03.jpg
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火器という武装が大航海時代にグローバル化したなか、日本はアジア世界の中で突出し、社会変革まで経験したという事実に世界史的な意味があるのでは。
日本オンリーワンを強調することが歴史観を正すとは思えません。
お前に関係ない、といわれればそれまでの話。
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セルビア人だったと書いてあります。また産業革命後は共通の技術を持ち、NATOまで様ざまな過程がありとても語りつくせませんが。
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カラクリの小改良は絶え間なく続いたが、火器の威力を決定的にする滑腔・円弾から施条・長弾への改良はとうとうされなかったわけは?
肉眼の限界をためすような照準システムや、短筒など人間工学を無視した銃床の形になぜこだわったのか?
むしろその辺が知りたいです。
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江戸期の砲術、これは軍事目的ではないのですね。研究テーマは沢山あります。
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手元に前装砲用の椎ノ実形砲弾が二種類有りますが 大砲でさえ施条加工の困難さから 砲弾側に溝を掘る物が有るほどです。
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そうでしょうか?
ライフリングが発明されたのは、ルネサンス期のイタリアで、すでに試行が始まっています。
確か銃腔の断面を多角形にしてツイストを与えるHK社のポリゴン・ライフリングのはしりのような姿だったと記憶しています。
無論、コールド鍛造もNC旋盤も無い時代です。
パキスタンのダッラ村にある闇工場では、十代の見習い小僧がボタン・チャッカーが付いた工具でエンフィールド・ライフル(もどき)の銃身を手作業で製造しています。
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これはウィツトオース銃の事でしょうか↓
http://www.mlagb.com/bisley2005/images/whitworthbullet.jpg
http://www.whitemuzzleloading.com/histor10.gif
これですと1862年なのでエンフィールド銃(1853年)よりも後の物です。
前装施条銃の歴史で言うとヤーゲル銃が先の様です。
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勿論初期のものは全体がライフルでなく、先の一部だけだったようdすが、とてつもないでかい道具で切ってました。しかし装填に時間が掛かるので、軍用ではなく、猟用、バッファロー狩に使用したそうです。バッファローは200-300mくらいに近づくといっせいに走りだすので、インデアンは毛皮を被り匍匐、白人は一発必中の50口径以上のライフルを工夫したと聞きました。
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公式には、英のロビンスがライフルを実用化したのは1742年となっています。著名になったのは、アメリカの民兵が多数装備してからですね。
ご存知とは思いますが、火砲と小火器のライフルの作り方は似て非なるもので、火砲はフック状のブローチ(刃物)で数条づつ何回にも分けて切削する高度な技術が必要なのに対して、小火器のライフルはブローチングでも一気に切ったようです。ピッチの管理さえできれば、18世紀日本の技術でも可能ではないかと思います。
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速射性に劣り、装てん中うっかりクラウンに傷を付けたら、当たらない銃になってしまうし。
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回転がつくと、ライフルなしで100ヤードの有効射程が2-300ヤードに延びます。