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源田實氏は偉大なる戦士だったか「海軍航空隊始末期発進編」


1962年夏、参議院選挙中のことだ。
家族で静岡県の興津あたりをドライブしていた時、「源田みのる」と表示した選挙カーが道路脇に明らかに故障で停まっており、源田氏が横に立っていた。父親が車から降りて、「近くまで同乗しますか」と聞いた。(その時は私が降りなければならないのだが。)
同氏はもう連絡してあり、誰かが来てくれるでしょう、と丁寧に答えた。暇つぶしに両親と源田氏は会話を交わしていた。その時10代半ばの私ははじめて源田氏が何者かを知った。

この本「発進編」はその前年に文芸春秋社から初版が発刊された。
源田氏は1904年生まれ、この選挙で当選し参議院議員になり、1989年に亡くなった。日本海軍航空隊創設期からの将校、操縦士であって、「戦艦無用航空主兵」を早くから唱えていた人だ。
海軍兵学校を卒業してから、1928年霞ヶ浦航空隊に勤務しそこで操縦を訓練した。
当時、日本海軍は世界に先駆けて航空母艦を採用し、彼が日本空母に最初に離発着した操縦士であると言われている。

第二次大戦中は参謀であり、参謀が犯した間違いは多くの犠牲を伴い、その点では非難されるべき側にあった。彼は、前書きに、
「大戦中、海軍だけでも26000機の航空機を失い、10数万人の乗員が死んだ」と書いて、「この本稿はできるだけ正確に記したが、それをどうとるかは、読者の自由であると」当時の時代背景、反戦思想に気を使っていた。

この発進編は、海軍航空隊の黎明期から世界大戦直前までが内容である。
私はこの発進編に関しては彼は歴史の正確な目撃者であったと思う。

日本海軍が、航空機の機銃の取り付け、整備に英国人技術者を招き、指導を受けた。「絶対に金槌を使ってはならぬ」と言う指示に従わなかった下士官を、英国人が殴るそのシーンの記述は大変興味深い。
日本人も最初から繊細な技術者ではなかったのだ。

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コメント

No title

源田氏の戦艦無用航空主兵の本当の意味は戦艦無用戦闘機無用爆撃機主兵論であった。96式陸攻のカタロク性能に魅せられ、戦闘機は爆撃機に叶わないと考え、その結果、渡洋爆撃に護衛戦闘機を付ける考えもなく、撃墜されて初めて護衛戦闘機の必要性を説き、しかも零戦開発に際しては海兵同期の柴田武雄に比し、戦術センスはなく、更に戦闘機パイロット課程を廃止し、その結果、大戦開始時、戦闘機指揮官不足を招いた。残念なことである。

No title

源田氏のことは4回、書きます。ミッドウエイでアメリカの雷撃機70機が全て撃墜されたのを見て、考えを変えたのではないでしょうか。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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