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甘かった源田 實氏の欧州戦線観察 「海軍航空隊始末期戦闘編」その1


海軍航空隊のエリートだった源田 實少佐は、1938年11月に駐英大使館付武官を発令され、翌年
1月に日本を発ち、3月ロンドンに到着した。
日本は1937年7月来中国と戦争中であり、すでにドイツはオーストリー、チェコスロバキアを併合し、おりしも彼が駐英していた1939年にドイツはポーランドに侵攻し、フランス、英国に戦線布告し
第二次世界大戦は始った。(この世界史上まれにない激変の年の記述は弱い。)

彼が帰任の命を受けたのは、1940年9月で「バトルオブブリテン」の空中戦闘で英国がかろうじて勝利を収め、ドイツの英国侵攻はなくなったという時期だった。

源田氏は、この戦争中、中立国ポルトガルに飛び、そこからクリッパー機でニューヨーク、アメリカ大陸を横断し、日本に帰国した。
当然、日本海軍は彼をこのように至急ルートで帰国させた背景には、彼に欧州の戦闘の様子を報告させたかったからだろう。
源田氏は駐英中、ドイツを2度訪問している。しかしドイツ空軍との接触はあまりなかったようだ。

彼は諜報員としての専門教育を受けたわけでないのではあるが、ゴルフ中や郊外へのドライブの際、スピットファイアー機の訓練、模擬空中戦を観察し、「英国操縦士技量は日本海軍操縦士に比較すると
かなり下だ。ドイツ人操縦士は更に下だ。」というくらいしか観察しかしてない。
操縦技量は飛行時間に比例する。どのくらいの程度の操縦士かが、分らずしてその技量を比べることは出来ないことは彼が一番良く理解していただろうが。(実際にはあまり自由に動けず、垣間見た程度ではなかったか。)

彼の英国人気質に関しての具体的報告は今までの一般的な内容から特に出たものではない。

また日本海軍関係者から「源田君の話を聴いていると英国が勝つようことになる。」との評を受けたと書いてあるが、これは後付だろう。

源田 實氏の語学力、欧州に関する知識、どの程度のものであったか知らないが、そのあたりに問題があり、せっかくの好機、「バトルオブブリテン」を目の当たりした経験が、正確な報告になってなかったと
感じる。
一点、空母の甲板装甲を厚くすべきの答申も、ドイツに空母はなく、空母間の戦闘がなかったので
単なる技術的な内容だが、当時、木製甲板の日本空母にとっては重要な指摘であっただろう。

画像は同氏が英国に赴任する際の写真。私の記憶にある源田氏は目つきに特徴があった。
源田氏が欧州大戦勃発のときの現地について書いたものがあれば教えて下さい。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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