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英国が日本にとって特別な国であった理由 歴史を勉強しよう


現在、千代田区一番町の英国大使館は皇居を臨む、最高の場所に位置する。
東京にあるほとんどの外国公館は、霞が関官庁街と横浜に向かう方角に位置している。例えば、麻布近辺とか。しかし英国だけは特別な扱いを受けている。英国大使館を訪問すると、19世紀のビクトリア朝建物は広くはないが快適な英国庭園に面しており、そこは壁際の育った樹木で、周りの高給集合住宅群から隔離されている。

英国が明治政府から特別な扱いを受けたのは、オールコックやサトウと言う優秀な外交官を明治維新前後に送り込み、明治政府を構成した薩摩、長州そして四国などの人材と深い交流を重ねていたからだ。
一方、幕府とも良い関係を維持していた。
明治維新の最大の貢献者はなんと言っても徳川幕府であり、幕府が開国しその後の近代化に積極的だった10年間の蓄積が原動力となった。

1866年3月6日、横浜で英国守備兵、艦艇陸戦隊と幕府のフランス式調練を受けた伝習兵達の連合観閲式が行われた。日本兵達の行進は良かったとサトウは褒めていた。また、空砲の発射では、さく杖が飛んだり(さく杖を抜かずに撃ってしまうこと、前装銃だったようだ。)ワッズ(詰め物)が飛んであたたっりすることはなく、事故もなかったとしていた。

1867年1月、英国艦隊は鹿児島を訪れて、軍需工場を見学し、その後宇和島の伊達藩に行き大歓迎を受けた。
山の上の射撃場では、英国艦艇陸戦隊と宇和島藩の藩士による射撃大会が行われた。山の谷間の射場だったが、当然射場に慣れていた宇和島藩士の方に分があったらしい。
このように英国は日本各地で、幕府、反幕府両側にこまめに気を使い、そして時間も使っていた。

従って、明治天皇は、皇居の直ぐ隣、旧幕府の弓道場跡に英国大使館を招いた。
そういう深い関係が30年後に日英同盟に発展したのだった。

エンフィールド銃は前装式のライフル銃、ミニエーなどを後装式に改造したものも同じように呼ぶが、後装式のパーカション銃、この頃よく使用された。この画像はゲベール銃、前装の滑腔銃、銃剣を装着し、
しかも刀を差しているから、膝撃ちは難しかったろう。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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