コメント
No title
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「中華街で飯喰うのはやめなさい!」川崎の中華料理屋の夫婦(台湾籍)が常々言っていました。「不味くて高い上に、何を使っているか判らない」修行仲間や元従業員の店も、前日連絡しないと何も出してくれないとも・・・
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。
昨日、池井保教授の「横浜中華街の歴史」の話を聞いた。
横浜開港150周年の催しがみなとみらいなどで継続的に行われてきたが、人を集められなかったそうだ。良い催しが沢山、あったように聞いていたが。インド映画祭とか。
しかし中華街だけは大賑わいで年間2000万人、95%がノンチャイニーズだったそうだ。
中華街は幕末から華僑の町であったが、日清戦争、このときは政府は彼等の安全を保証したそうだ。
日中戦争、空襲、さまざまな試練があった。
偉かったのは平沼市長で、自ららも資金を出し、寄付を集め、あのど派手な門を作り、それまで南京街と言っていたがそれを中華街とし、大陸、台湾系の協力をはかったそうだ。
今は新中華人となっている。
M氏の話によれば帰化しない人たちは税金の「優遇」が朝鮮系もあるそうだ。それはちょっと困る。
税務当局も頑張ってほしい。
池井教授の結論は「日本の中華街が繁栄しているときは日中関係は良い時期だと」
良いことか、悪いことか分らないが。