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洞 冨雄先生の「鉄砲」と南京大虐殺肯定論



私ごとき者でも、火縄銃から機関銃まで日本の武器兵器を長年、調査してきたことで、いろいろ分野の著名専門家とお話する機会を得たことがあったのは本当に光栄なことであった。
これによりまた世の中も少し一般の人より別な角度からみることが出来るようになったと思う。

洞 冨雄先生もその一人だ。先生は1906年、長野県生まれ、早稲田大学卒業後1977年まで同大学文学部教授であった。先生は火縄銃の研究活動より日本軍による南京大虐殺肯定論者として有名であった。

「鉄砲 -伝来とその影響ー」は思文閣出版より1991年、先生85歳のときの発刊だ。
縦25cm、横15cm、厚紙表紙、480ページの大作だ。
写真、図面、地図などの説明資料は少ない。価格は本体9800円だ。画像はそのひとつシーボルトが
持ち帰った、日本の大砲、火縄銃関連のイラストだ。北斎に発し、その手のイラストによる説明は幕末
に一般的だった。

本の内容は、1)歴史を変えた鉄砲の伝来、2)種子島銃製造法の伝来、3)鉄砲の起源に関する諸問題、4)秀吉の朝鮮侵略、維新内乱と鉄砲、である。

この内容から、私の研究にも随分、参考にさせていただいた部分も多い。例えば、
文禄、慶長の役で、立花家の編成、文禄の際は3000名で鉄砲200挺、が慶長では2600名で350挺と倍近くに増加していた。など。
しかし、火縄銃カラクリの写真が菅打ち銃のものだったり、単巻で製造した銃身が実弾を発射できない銃と言うような記述で、私の疑問を先生をお話したことがあった。
先生は実に謙虚で良い人柄の方であった。私のような「若造」の意見も良く聞いていただき、後でご自分の間違いに関してはお手紙をいただいた。

「南京大虐殺」に関してもお話したが、具体的な日本軍の虐殺手段とその対象に関しての背景は曖昧だった。
先生の「南京大虐殺の証明」は朝日新聞社刊であり、私は先生の人柄が当時の早稲田出身左翼に利用されたとしか考えられないと感じている。

同じ頃、新潮社の紹介で、やはり日本の火縄銃に興味があった清水 幾太郎先生ともお会いした。
とても謙虚、学者かくありなんと言う方だった。
この研究活動を通し、洞先生や、清水先生のような方々とお話できただけでも幸せと思う。

洞先生は、新人物往来社「日本の合戦六」文禄慶長の役の部分を執筆されており、明朝鮮軍には鳥銃は
装備されていなかったと、記していた。この際は秀吉の朝鮮「侵攻」と言う言葉を使われていた。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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